オスカー・ピーターソン・トリオ/ソウル・エスパニョール
朝、目を醒まして、CDの山をあれこれ漁り、10枚程度候補を絞って、その中からオスカー・ピーターソン・トリオの『ソウル・エスパニョール』を選んで聴く。おんぼろのノートパソコンを立ち上げて少しインターネットで昔の知り合いの関係のブログその他を一通り閲覧し、すぐに終える。本の山も漁り、とりあえず、ヘンリー・ミラー『セクサス』の上下巻。大久保康雄訳の新潮文庫を出してきて読み返す。他にもあれこれ出してきているが、今手元に置いてみたのはルソー『新エロイーズ』(安士正夫訳、岩波文庫)と『社会契約論』(桑原武夫・前川貞次郎訳、岩波文庫)である。
何か小説を書き始めたいという子供の頃からの夢だが、何か書いてみたいとか書いてみようとするが、どうしても何をどう書いていいのか分からないという残念なジレンマである。難しいことは一切考えずに、書きたいことをそのまま書き始めればいいのだと思うのだが、なかなかこれがね。不器用な人間にはそういうことも難しい。
- アーティスト: オスカー・ピーターソン,サム・ジョーンズ,ルイ・ヘイズ,ハロルド・ジョーンズ,マーシャル・トンプソン,ヘンリー・ギブソン
- 出版社/メーカー: ユニバーサル ミュージック クラシック
- 発売日: 2006/04/05
- メディア: CD
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- 作者: ヘンリー・ミラー,大久保康雄
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- 作者: ルソー,安士正夫
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- 作者: J.J.ルソー,桑原武夫,前川貞次郎
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Si la volonté générale peut errer.
Il s’ensuit de ce qui précede que la volonté générale est toujours droite & tend toujours à l’utilité publique: mais il ne s’ensuit pas que les délibérations du peuple aient toujours la même rectitude. On veut toujours son bien, mais on ne le voit pois toujours: jamais on ne corrompt le peuple, mais souvent on le trompe; & c’est alors seulement qu’il paroît vouloir ce qui est mal.
僕が気になっているのはここである。桑原・前川訳ではこうなっている。「以上にのべたところから、一般意志は、つねに正しく、つねに公けの利益を目ざす、ということが出てくる。しかし、人民の決議が、つねに同一の正しさをもつ、ということにはならない。人は、つねに自分の幸福をのぞむものだが、つねに幸福を見わけることができるわけではない。人民は、腐敗させられることは決してないが、ときには欺かれることがある。そして、人民が悪いことをのぞむように見えるのは、そのような場合だけである。」
我々は18世紀、1762年の段階のフランス語を考慮すべきであり、別の時代や別の地域、現在の観点を持ち込むべきではないだろうが、その後や現在の社会思想や政治に関する様々な言説の観点からは、l’utilité publiqueであるとかles délibérations du peupleなどが気になるであろう。
また、次の意見も重要である。東浩紀氏などが『一般意志2.0』で重視するところでもある。「人民が十分に情報をもって審議するとき、もし市民がお互いに意志を少しも伝えあわないなら〔徒党をくむなどのことがなければ〕、わずかの相違がたくさん集って、つねに一般意志が結果し、その決議はつねによいものであるだろう。」原文は以下である。"Si, quand le peuple suffisamment informé délibère, les citoyens n’avoient aucune communication entr’eux, du grand nombre de petites différences résulteroit toujours la volonté générale, & la délibération seroit toujours bonne."
僕は自分のほうがフランス語、それも当時のフランス語に詳しいなどとは思わないわけだが、そうすると、la délibérationというのは「決議」というくらいの意味で理解すべきなのだろうか、と考えたりもしている。