社会体の死について

小野善康教授の岩波新書1348、『成熟社会の経済学ーー長期不況をどう克服するか』を読みました。成熟社会という発想が面白かったので、経済学者、社会科学者などではなく、また、政治・統治や政策などに一切携わる立場でもない僕も自分なりの空想を申し上げてみたくなりました。

さて、僕は昔『惰民論』というエッセイを書いたことがありますが、まあ遊びですが、『惰民で悪いか』という文章を書き、『リプレーザ』に寄稿しました。九州にお住まいだというほねすけさんという左翼の方が、面白いからと『惰民礼讃』と改題してパンフレットにして下さいました。素敵なイラストも添えて。

それが西暦何年のことだったか忘れましたが、僕の考え方は当時と一切変わっておりません。実証や論証、統計的な根拠(笑)などは何も一切ありませんし、また、政策的にどうこう、運動がどうのという前向きな考え方でも全くないのですが。

僕が自分の昔の考え方を想い出してみたのは、先程のこういう出来事からです。

労働組合運動の歴史がテーマの熊沢誠さんという在野の研究者の方がおられますが、どなたかがその熊沢さんに取材をされた記事がFacebookにアップされ、僕がたまたまお見掛けしてシェアしました。そうしますと、或る方、瀧本さんとおっしゃいましたか、或る方から次のようなコメントをいただきました。

その方の御意見はこうです。労働組合運動はますます重要である。労働者にとってのみならず、資本家サイド、経営者にとっても重要だ。何故ならば、全くとんでもない「使い物にならない労働力」が激増しているからである。その嘆かわしい惨状を目撃したら、人々は驚くであろう。

そういうことでしたが、労働現場や職場がそうなっているのかどうかは僕は存じ上げません。しかし、上述の見方について、僕はそれを肯定した上で、人々に死を予言してみたくなりました。

僕の元々の発想は、客観的で学問的・科学的な実証に基づくものでも何か運動に基づくものでもなく、単なる直感です。インスピレーションですね。僕は実証というようなものを全く必要としてはおりません。最初から興味ないです。そうしますと、僕自身の議論の材料はといえば、読み齧ったり聞き齧っただけの幾つかの意見なのだということになります。そして、傍証というか、僕の見方を補強する材料は日々増える一方である。

元々の僕の文章をお読みになった方など誰もいらっしゃらないでしょうから、基本的な要旨を再掲しておきますと、仮に(あくまで仮定の話ですよ)資本主義の精神なるものがプロテスタンティズム的な勤勉精神に存するのだとしますと、そのエートスそのものが根本的に崩壊しつつあるし今後するだろう、という予言です。

僕はつまらない衒学的なひけらかしや言葉遊びが好きですので、ここでもそういう態度を貫かせていただけば、元々、産業を意味するindustryという言葉が勤勉を意味しております。別に商人が遊んでいるとか遊んでいたわけではなく、むしろ逆だったとしても、近代に成立した産業資本主義は、キリスト教的、プロテスタント的であろうとなかろうと、あらゆる意味で、使用者側(資本家、経営者)にも労働者側にも勤勉を要求したでしょう。そこにおいて、規律・訓練、disciplineが全面的に展開されます。人々は暴力的に、無慈悲に飼い馴らされていく。資本家サイドでも、彼を強制する上位者などは誰もいないとしても、社会的現実が彼を禁欲へと強制する。その掟に従わない、または従えない者は、淘汰されて市場から退出させられる。労働者だったら失業、経営者だったら破産の憂き目を見ることになるでしょう。

僕の意見は、規律・訓練が失効し、人々からは勤勉や禁欲のエートスは全く失われる。具体的に申し上げますと、世の中から雇用が失われるのみならず、労働者の側は何らスキルを持ち合わせない。労働意欲も一切ない。自立心もない。そうなるのだという不吉な予言です。それを社会体の死と申し上げています。

どうして社会体の死なのかと申し上げれば、僕の表現では惰民ということですが、差別語で誠に済みませんが(笑)、そういう人々が厖大に増えていくとすると、もはや養う方法はないからです。産業はあらゆる意味で行き詰まる。今後有望な分野だとか成長産業などは全く何一つありはしない。雇用も増やせない。増やすとしても、人々にはまともな技能も、長時間の作業に堪える体力や根気も何もない。働いて生計を立てることができなければ、社会保障や福祉に最終的に頼るしかありませんが、被恤救窮民の数が余りにも多過ぎて財政的に破綻してしまう。統治権力は統治能力を失い、人々はもはや死んでいくがままに任される。

それが僕の考える社会体の死です。

どうして、そういう不吉な予言などをわざわざするのか、といえば、それは僕なりの悪意であり、呪いなのだ、としか申し上げることができません。

成熟社会の経済学――長期不況をどう克服するか (岩波新書)

成熟社会の経済学――長期不況をどう克服するか (岩波新書)