椎名麟三『美しい女』

書き出し、冒頭5ページ。

私は、関西の一私鉄に働いている名もない労働者である。十九のとき、この私鉄に入って以来、三十年近くつとめて、今年はもう四十七になる。いまの私の希望は、情ないことながら、この会社を停年になってやめさせられると同時に死ぬことだ。勿論、会社が停年まで、私をおいてくれるならばだが。私がこんな希望を抱くのは、会社をやめて行った同僚のほとんどが、妙なことに悲惨な生活をおくっており、なかには発狂したり、自殺したり、病死したりしたものもいるからだ。口惜しいことだが、交通労働者というものは、どこへもって行っても、あまり潰しが利かないらしいのである。

美しい女 (新潮文庫 草 51C)

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深夜の酒宴・美しい女 (講談社文芸文庫)

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