レフト・アローン

マル・ウォルドロンの『レフト・アローン』を聴く。ビリー・ホリデイのために書いたが、彼女が急逝したため、歌って貰うことができなかった。だから、ここではジャッキー・マクリーンのアルトサックスが沈痛な旋律を歌い上げる。追悼の曲ではなかったはずなのに、あたかも、彼女の死を予期し予感していたかのようである。音楽における悲しみ。悲痛や悲嘆の表現は幾らでもあるだろうが、マルのこの音楽はこれはこれで独自な独特なものである。それのみならず、アメリカではそれほど人気が出ず、ヨーロッパや日本などのファンに好まれた彼の訥弁のピアノの独特なタッチ。風変わりでマイナーが多い作曲。特にソロピアノの『オール・アローン』などの孤独と悲しみの世界。確かに、訥弁スタイルといっても、セロニアス・モンクとは全く異なる。モンクにも「ラウンド・ミッドナイト」はあるが、僕の見るところでは、彼の音楽の本質は孤独のうちにさえある賑わいであり、一種の風変わりな陽気さである。という意見に疑問を持つ人は、「バイ・アー」とか「ベムシャ・スウィング」などを参照したほうがいいと思うが、「ラウンド・ミッドナイト」は彼の最初期の作曲であり、19歳のときのものである。そして、モンクの生涯の全体を通じても、そういう悲しみに沈み込むマイナー調の音楽は実は少ないのである。そして、「ラウンド・ミッドナイト」にせよ、マイルス・デイヴィスの『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』の決定的名演で知られるようになったのではないか。マイルスのその演奏については、確かに、菊地成孔が云うような「大人の夜の音楽」としてのジャズという形容が当て嵌まるかもしれない。だが、モンクを含め、ジャズの全てがそういうものであるはずがないのは、申し上げるまでもない。