日隅一雄『国民が本当の主権者になるための5つの方法』(現代書館)

日隅一雄『国民が本当の主権者になるための5つの方法』(現代書館)は、日隅氏の遺著のようである。日隅氏は元々産経新聞の記者だったが、様々な社会問題に取り組んだようで、また、インターネット市民メディア"News for People in Japan" (NPJ)代表を務められていたとのことである。彼の意見を検討したいが、全体を概観するために、本書の構成と目次を掲げておく。

第1章:すべての始まりは情報を得ること
1.はじめに
2.情報公開制度の改善
3.マスメディアが自由に報道できるようにする
4.内部告発をしやすくする

第2章:選びたい人を選ぶことができるようにする
1.はじめに
2.誰でも立候補できるのか
3.死に票にならないか
4.選挙運動の制限
5.マスメディアから候補者に関する十分な情報が得られない

第3章:代表者はあなたの意向を受けて、議会で議論を活発にしていますか
1.はじめに
2.有権者の意思が伝わる仕組みがあるか
3.自由に討論できるか

第4章:巨大な行政を監視する仕組みはあるか
1.はじめに
2.天下り防止
3.官僚をチェックする方法

第5章:積極的に政治に関わるように育っていますか
1.はじめに
2.主権者教育
3.メディアリテラシー

新聞社出身の日隅氏には当然だったかもしれないが、彼が、メディア、情報、リテラシーに重点を置いていることがよく分かる。例えば彼は、アメリカでは大統領の携帯電話の通話記録までも公文書とみなされ、情報公開の対象にされるとか、原子力関係の会議の模様も全部録音されて公開されるといい、アメリカの市民は政府が何をやっているのか一定は知る手段があるが、日本の市民にはそれは乏しい、と述べている。

これはより一般的な枠組みでいえば、「議事録の公開」という記録の問題であり、伝統的に昔からあるもので、私が想い出すのは文芸批評家の鎌田哲哉氏が中野重治に触れて議事録の公開の政治的、倫理的な重要性を指摘していたことである。また、議事録に限らず、公文書とか、記録、資料、史料などのステイタス(それは人間が何かを知る、認識するということの唯物論的な条件である)も考察すべきだが、飛躍するようだが、私が想起するのは「ミスター年金長妻昭氏が精力的に取り組んだ「消えた年金」問題である。

年金記録問題は、ただ単に社会保険庁が怠慢だとか悪いという以上の技術的な問題を提起している。それは、行政の仕組みが、紙の資料を中心としたものからパソコンに移行したときに、多くのデータがなくなってしまった、というミスである。それがどこまで不可抗力で、どこからが人為的なものだったのかまでは私には分からないが、ここには、膨大な紙の記録とか書類をパソコン内の情報データに移せば、ありとあらゆる意味で省力化が可能だが、他方、万一そのデータが何らかの理由で紛失したら、事後に回復する手段がないのではないか、ということを示唆している。これは、現代テクノロジーの大きな陥穽の一つである。

もし、今後、ネット選挙とか電子投票の可能性が政府によって検討されるならば、万が一のミスや不正を事後にチェックする技術的方途をよく確保しておいたほうがいいと思うが、現在の紙の投票用紙であれば、モノが残っているから、それを事後に調べることもできるだろうが、電子投票にしたらできないのではないか、というのが私の懸念である。