民主主義を考える

民主主義についてはあれこれ考えようがあると思うが、私が現在の状況に関連させて興味があるのは、今井一のいう(脱)原発国民投票を巡って生じている賛否の議論である。

国民投票への賛成意見も反対意見もそれなりに納得できるものだ。あらかじめそうお断りしたうえで、私自身の意見を申し上げれば、私は反対である。

それはともかく、賛否双方の理由を検討してみよう。まず、賛成意見は、国民(民衆)総体の意向が表現され、政策に反映されるモーメントが必要だ、それが民主主義だ、というものである。他方、反対意見は、国民投票というのはただの形式に過ぎず、もし、そこで脱原発が否決され、原発存続が、それこそ国民の多数派の意志として議決されてしまったら一体どうするのか、というものである。

これは民主主義をどう捉えるかという考え方の違いでもあるし、理念と現実の関係を巡る問題でもある。今井一はそもそも改憲の是非を巡る国民投票を提唱していたと思うが、高田健に限らず、護憲派の意見は、そもそも国民投票法案が後退であり敗北だ、というものである。私は後者に賛成だ。

当たり前のことだが、みんなで投票すればそれでいいとか、多数決ならばいいはずがない。憲法9条の戦争放棄=平和主義とか、現在議論されている脱原発などの理念が、多数決の問題ではないのではないか、ということを考えたほうがいいと思う。そう思うが、もし、そう考えるとしたら、人々の声(意見)が一定の制度的な手続きを経て政策として実現されることを想定する民主主義というものは一体どうなってしまうのか、ということも問題である。