「B層」を巡って:政治とマーケティング

竹中平蔵以来、通常は揶揄的な仕方で「B層」が話題にされることが多いが、その意味(定義)を私は正確には知らない。ただ、統治権力者側の人間が、広告とかマーケティングの手法で操作できる膨大な数の人々がいる、とみなしているということだけは分かる。そして、それは恐らくその通りである。

実際、我々はイメージ戦略を無視できない。人々の多くは、政治家の好き嫌いを政策以外の要素で選んでいる。それは遥か昔から(民主主義化がなされて以降のことだが)そうだったともいえる。大多数の人々には、政策というような非個人的なものよりも、個々の政治家のパーソナリティや存在感のほうが重要だったのであり、それは21世紀の今日ではキャラとかキャラ萌えなどと言い替えられている。だが、内容は恐らく同一である。

自民党総裁候補の5人のなかでは、という意味だが、街の声の多く(70%くらい)は石破茂に好意的だ。ちょっと信じられないが、「キモカワイイ系」だとかいうことがその理由なのである。それ以外に、彼がガンダムのプラモデルを愛好している事実が、彼の保守的な政策とは全く別箇に話題になることもある。

残念なことだが、それが2012年現在の日本社会なのである。この現実を変えることが絶対にできないわけではないが、現状がそうだというのは或る程度はやむを得ない。

昨日、脱原発お散歩@浅草という催しに顔を出したと書いたが、それは、オルタナティヴ側もイメージ戦略や社会的マーケティングを重視していることを感じさせるに十分だった。というのは、決して参加者が多いとはいえないのに、しっかりマスメディア、報道機関の人間に取材をさせている。また、自らUstreamなどで動画配信(生放送)もしている。脱原発のプラカードやTシャツで沿道の人々に自分達の意見を「見せる」工夫もしている。

それも遥か昔からそうだったと思うが、顕著になり始めたのはChance!くらいからであろう。対抗運動の側も広告業界的、マーケティング的になってきたのである。ソフトな快楽主義的といってもいいかもしれないが、主張の正しさよりも、楽しさのほうが重視されるようになったのである。それはあながち悪い変化ではない。だが、私の意見では、歓迎すべきものでもない。ただ単にそうなったというだけの話である。