ニーチェについて

ニーチェの考え方の主要な特徴を私なりに纏めてみる。

(1) 神の死、「人間」の問題化、大地の意味としての超人。
(2) 道徳の歴史。
(3) 衛生学、「ロシア的運命主義」などの養生法(大いなる健康)。
(4) プラトン主義の批判。

上述以外に存在論、認識論、真理論の問題があるが、ここでは考慮しない。というのは、私はそれは誤謬だと思うからである。

それはそうと、これらを検討していくが、まず、(1)である。ニーチェが問題にするのが、特にキリスト教の神である、というところをまず押さえておかなければならない。それから、ニーチェがどうのということを離れてごく一般的な歴史、世界史をいえば、19世紀くらいから徐々に人々、特にヨーロッパの人々がそれほどキリスト教を熱心に、或いは本気に信仰しなくなっていったことには、幾つかの理由がある。基本的には合理化、合理主義、脱魔術化(マックス・ウェーバー)ということなのだが、もう少し細かくいえば、宗教改革プロテスタンティズムの成立、近代的な科学・技術の成立、産業資本主義の成立と商品経済の徹底化などがその理由である。

宗教改革は、キリスト教をよりよいものにしたはずなのに、どうしてキリスト教の弱体化の一因になったのだろうか。そこにはふたつの要因があり、ひとつは、それまでの教会が批判されたこと、もうひとつは、『聖書』を自分で読むべきだ、という考えが広まったことである。

キリスト教信仰といっても、大雑把にいってカトリックプロテスタントでは違い、さらに、様々な多数多様な細かいヴァリエーションがあるが、とりあえずこのふたつを対比すると、カトリックでは教会が人々の信仰の中心で、さらに、ローマ法王を頂点としてピラミッド型に展開している聖職者を介して、信仰が成立する。『聖書』、『創世記』などの『旧約聖書』、『福音書』などの『新約聖書』を人々の一人一人が自ら読むというよりは、教会での視聴覚的なスペクタクル、象徴的な意味を担わされた儀式、儀礼を通じて信仰を深める。

プロテスタントでは、教会とか聖職者が全部完全に否定されるわけではないが、信仰の中心は一人一人の内面に移され、個々人が神と向き合い、こういう表現は不適切かもしれないが、「契約」することが重視される。視聴覚的なスペクタクルというよりも、『聖書』の文字を読む、解読する、という言葉が中心、それも書き言葉が中心のありようが主要になるのだし、しかも、99%の人々はギリシャ語で読むわけではないから、それぞれの言語、漸く成立しつつあった各国語に『聖書』が翻訳されていく、ということがなければ、そういうことは成り立たない。

宗教改革プロテスタンティズムが人々の堅固なキリスト教信仰を徐々に掘り崩していく一因になったのではないか、というのは、人々が教会を信じなくなっていき、自らの精神をしか信じなくなっていくからである。そして、自分自身で『聖書』を読解すると、色々な結果が生じる。主要な一つは、スコラ哲学、神学が疑わしいと思われるようになったに違いない、ということである。というのは、そういう神学者の権威というものは、『聖書』を自分で読むのではなく、誰か別の偉い人が読んでくれる、神聖なテキストの意味は代理人だけが把握している、という思い込みに基づくからで、もし『聖書』を読めば、その内容が神学者の展開する非常に長々として退屈な概念的思弁とは全く異なることがすぐに分かるはずである。

さらに、自分自身で『聖書』を読んでみて、自分自身で判断してキリスト教を信じるならまだよかっただろうが、『聖書』を読んだ結果、それほど信じられないと感じたならばどうだろうか。もし『聖書』の権威よりも自分の判断力を人々が優先するようになれば、もう、宗教の信仰は成立しない。

それから、近代的な科学・技術の成立とキリスト教ということだが、近年ドーキンスが『神は妄想である』という著書を公表しているが、歴史的にみれば、宗教と科学の関係は微妙である。科学と宗教と、知と信というふうに整理してもいいが、両者の関係は、仲良しだった場合もあれば、相互補完的だった場合もあり、対立的だった場合もある。我々近代人は、近代科学は宗教を否定し斥けるものだ、と思い込んでいるが、必ずしもそうではないのである。科学の内容そのものがどうかとは別箇に、科学者という具体的な人間が有するイデオロギーの問題もある。科学者が科学を構築しても、その科学の内容とは別箇に、宗教、神、神への信仰が絶対に必要だ、という場合も少なくないのである。サイバネティクス創始者ノーバート・ウィーナーの『人間機械論』を読んで、そこで中心的に論じられているのが、正しい宗教的信仰の必要性である、という文献的な事実に驚く人々は多いのではないだろうか。

科学と宗教、知と信ということでいえば、古代世界で問題なのは、まず、アナクサゴラスである。古代だから、キリスト教ではないが、アナクサゴラスは、太陽はただの燃える石の塊り、或いは鉄の塊りだ、と主張して、伝統的で敬虔な信仰を否定していると糾弾されたのである。近世・近代でいえば、ガリレオ・ガリレイの宗教裁判とか、その結果生じてきた、デカルトが彼の自然学の体系を公表することを差し控えた、というような事実が想起される。教会権力はただ単に人々の内面を支配していたのではなく、もっと直截に生存そのものを深く支配していたから、科学的な知を求めることが教会の意向と違っていた場合、危険もあったのである。

相互補完的ということで私が言いたいのはカントの三批判書だが、カントの意図は、信仰のために知識に場所を空ける、空けさせる、ということだが、そういうふうに知と信が和解できるのかどうかは分からない。ただ、カントが構築したシステム、例えば現象界と叡知界の区別などを認めるならば、そういう和解の契機、可能性も出てくる、とはいえるであろう。

科学と宗教、知と信の関係の対立、否定、敵対という側面についていえば、フロイトが整理するように、コペルニクスダーウィンフロイトを想定することができる。勿論、フロイト精神分析学が科学かどうかについては議論の余地があるが、それは措いておいて、重要なのは、人間が想像的に想定する自己中心性が否定されたことである。例えば、地球が中心である、という、地球に住んでいる我々人類には必然的で不可避な錯覚である。私は天文学には別に詳しくないが、天動説から地動説へ、というのは余りにも大雑把で、諸々の天体の関係は相対的だとみるべきだ、という意見があり、それはその通りだとは思う。ただ、ポイントは、地球が中心で、全てはその周りを廻っている、というわけではない、ということである。ダーウィニズム、進化論が、人間が人間以外の生物種、猿から進化してきた、という仮説を提出するとき、それがキリスト教、特に『創世記』と深刻に矛盾するのは確かである。だから、2012年の現在も、特にアメリカで、キリスト教の教えと違う、という理由で、ダーウィンが拒否され、『聖書』の創造説が子供達に教えられたりしているのである。フロイト精神分析学については省略したい。

産業資本主義の成立と商品経済の徹底ということでいえば、そこにはふたつのモーメントがある。ひとつは、それまで事物に想定されていた神秘的、象徴的な意味が剥ぎ取られることである。もうひとつは、新たな「信仰」、商品物神、貨幣などが人々を深く支配するようになる、ということである。前者からいえば、資本主義、商品経済が徹底されていけば、大多数のものは商品として売買されるようになる。つまり、貨幣の数量で表現される関係、金銭的な関係が全てが、ということになり、内容というか、それまで「ある」と思われていたような充実した意味などがそれほど顧慮されなくなるのである。そして、資本主義の全面化によって新たな宗教類似物、信仰類似物が出てくる、ということだが、人々は、そのことを自覚していない。むしろ、自分は合理的、経済合理的なのだ、と錯覚している。しかし、資本主義経済体制が齎すものは、非常に危うい観念的な構築物である。信用制度がそうであることはいうまでもないが、それだけではなく貨幣がそうであり、元々、商品というもののステータスが一定の社会的諸関係における人々の同意、想像などなしにはあり得ない。一定の条件で、ただの事物は「商品」になるのである。

ここでニーチェに戻るが、彼は詳しく論じていないが、近代ヨーロッパにおいて「神は死んだ」のには、上述の文脈があったはずである。そして重要なのは、ニーチェにとっては神の死は既に生じていたこと、当たり前であるはずのことであった、ということである。『ツァラトゥストラ』にも、山から降りてきたツァラトゥストラが或る老人と遭遇して対話し、その老人が、神は死んだ、という報せのことをまだ知らない、という事実にツァラトゥストラが驚く場面がある。ここでは、ニーチェとかツァラトゥストラにとっては、神の死は既に生じたことであり、自明事だ、ということを確認しておかなければならない。

細かくなるが、『悦ばしい知識』、『ツァラトゥストラ』などで語られる神の死には幾つかのヴァージョンがある。神は人間の愚行を観察して笑い死んだ、とか、「最も醜い人間」の真実を目撃したために彼に殺害された、とかいうふうに物語られる。それが神話、物語、虚構などであるのはいうまでもないが、神の死は特に悲劇的で深刻ではない、少なくとも悲劇的であるだけではない、ということが重要である。

ニーチェによって「人間」が問題化された、ということだが、現代の反人間主義の根拠である。だが、どうしてそうなのか、ということを考察すべきである。フーコーなどを参照し、我々は、ニーチェ以来批判され問題視されているのは、一定の時期以降ヨーロッパで成り立ってきた「人間」なのだ、とみなすかもしれない。それはその通りなのだが、もう少し具体的に歴史を考察しなければならない。

我々がまず立ち戻るべきは、ルネッサンス人文主義である。そこにおいて大事なのは、中世への反動として、古典古代が再発見されたことである。当時見出された古代が真実だったのかどうかは私には分からないが、キリスト教の伝統とは違うものが見出されたことは確かで、そういうことは、ギリシャ・ローマ、古典を研究する文献学者としてのニーチェに至るまで継続する。

時代を下れば、デカルトとかスピノザなどにおいては、無限者(神)と有限者(人間)との関係として表現される。イギリス経験論が問題にするのも、人間の知性である。カントの『純粋理性批判』が取り上げるのは、知的直観が不可能な、叡知的存在者ではない人間の認識の限界である。つまり、感性的直観という制約、「物」とか対象による触発が不可欠だ、という制約である。ドイツ観念論ヘーゲルの場合は私はよく分からないが、彼ら、特にヘーゲルにおいて、神に到達する絶対的な知識が問題にされるとしても、それは中世に成立していたような神学とはまるで違う内容のはずである。

そういう流れで、19世紀のニーチェにおいて、「人間」概念の批判的な検討が生じる。フーコーの『言葉と物』では、言語・生命・労働という枠組みだが、ニーチェはそれを顧慮しているようにはみえない。彼が取り上げるのは、例えばルソーであり、ルソーには多くの悪意があった、と述べている。ニーチェがいっているのはただそれだけの短い言葉だが、その意味を推察してみれば、ルソーが社会思想を書いただけではなく『告白』、『ルソー、ジャン=ジャックを裁く』、『孤独な散歩者の夢想』など文学的著述を書いた、ということが大きいであろう。ルソーとは異なるが、日本において、日本近代文学、特にその自然主義私小説、告白、とりわけ田山花袋の『蒲団』を非難し告発する人々がいかに多いか、というようなことと、上記は関連づけられるべきである。ヨーロッパにおいて、というか、世界史的にみても、近代的な意味での「告白」を始めたのはルソーなのである。既に古代に、聖アウグスティヌスによる『告白』があったが、近代、現代の我々が考えるような、私的、個人的、内面的な告白とはまるで違い、キリスト教を正当化する言説戦略であった、とまずはみなすべきである。

ニーチェの言い方は、「人間」は中間者である、ということである。つまり、動物から超人を隔てる深淵に一本の綱が張り巡らされているとすると、それが「人間」である。ダーウィンを信じるなら、動物から人間に進化したのだとしても、その人間は、さらに否定され乗り越えられて、「超人」に到達しなければならない。ここで注意すべきなのは、生物学とかダーウィン的な意味での進化論が全く問題ではない、ということだ。むしろ「価値」が重要なのである。超人は大地の意味である。そして、ありとあらゆる自然及び歴史の最終目的なのだ。それは数千年も掛かる苛酷な訓育によってしか実現されないようなものなのである。そういう発想は、キリスト教批判と結び付いているが、2000年もキリスト教に支配され、その病毒に汚染されて、ヨーロッパの人々は堕落、頽廃してしまった、だから訓育して鍛え直し、「超人」を実現すべきだ、というのが、ニーチェの意見なのである。それは別に、ナチズムそのもの、優生思想そのものではないだろうが、現在、市野川容孝などが批判する優生思想的な要素も濃厚に併せ持つことは文献的、客観的な事実である。

(2)の道徳の歴史ということだが、日本語にも主要には倫理と道徳という言葉があり、さらに、習俗、風俗・習慣、生活態などの言い方もあるが、ヨーロッパの言語でも、特にエティックとモラルだが、複数の言い方がある。それを峻別できるかどうか、ということよりも、道徳に幾つかの相があることが重要である。

現代の我々が、道徳を支持する場合も反撥する場合も、カント以降の常識で考えている。つまり、一定の格率、法(「道徳法則」、定言命法)があり、それに自ら主体的に従わねばならない、という発想である。ところが、歴史的にもう少し幅広くみると、道徳というのは、まずもって一定の時代、地域における習慣であり、それも、その社会で支配的な習慣である。そして、そういうものの実践、反復を通じて、一定の人間類型が形成される、ということが重要である。

ニーチェは、晩年、「人間」を批判するようになる前に、『曙光』などの中期著作において、道徳の歴史を問題にしたのであり、そこから出てくるのは、人間類型の複雑で多様なあり方である。一定の文化、一定の道徳、一定の習慣から、特定的なタイプが出てくる。漠然とした抽象的個人でもなく、やはりただの抽象でしかない「人類」でもなく、そういう具体的で個別的な相において「人間」を考察し評価すべきだ、というのがニーチェの意見で、実に妥当である。

(3) 衛生学、「ロシア的運命主義」などの養生法(大いなる健康)──これについてだが、市野川容孝は誤解しているが、ニーチェは弱者や病人は死ぬべきだ、と確かにそう明言した。だが、彼自身も病人だから該当するし、それだけではなく、死ぬべきだ、死ねばいい、という以外のことも考えていたのである。

それが、例えば、衛生学としての仏教という問題意識であり、ロシア的運命主義などの発想である。衛生学としての仏教というのは、どういうものを食べるか、飲むか、どういう空気を吸うか、そして運動などの身体的なエクササイズから精神、神経に至るまで整えよう、という実に現実的で合理的な発想が仏教だ、とニーチェがみなしたということで、そういう見方がどのくらい正確かはともかく、彼がそう考えた、という事実が重要である。彼は、キリスト教は病気だと主張したが、仏教についてはそう思わなかったのである。

ロシア的運命主義というのは、外界の大量の刺戟に最早反応しない、ということで、それこそ生存のためには賢明な戦略だ、というのである。どうして「ロシア的」なのかといえば、当時のロシアの兵隊が、雪のなかを行軍していて、もう歩けなくなったら、何もせずただ黙って横たわる、というふうにいわれていたものを念頭に置いているからである。ニーチェといえば「運命愛」の思想家と思われており、それは確かにその通りだが、彼が愛する「運命」とかいうものが、必ずしも望ましく喜ばしいばかりではなかった、ということが重要である。

ニーチェ自身がとんでもない病気の苦痛で死ぬほど苦しみ続けていたことについては、幾つかの理由があり、それは、梅毒に加え、文献学者として古文書を読み過ぎたことによる眼の酷使である。そこから眼の痛み、頭痛、吐き気など非常に複合的で総体的な疾患、激甚な苦痛が出てくる。そのせいで、彼は大学教授、文献学の教授の職を辞職しなければならなかったのである。

最後に、(4) プラトン主義の批判、ということだが、ニーチェプラトンを批判するのは、「観念論」というよりも「理想主義」という側面が強い「アイディアリズム」の起源としてプラトン主義があるというのが理由である。彼の歴史観では、ソクラテスプラトン以来、決定的な変質が生じた。禁欲主義的な理想が信奉されるようになり、勝利したのである。その後そういう道徳は、ストア派を通じてキリスト教に流れ込み、数千年に渉ってヨーロッパを規定してきた。それに反抗する、というのが、ニーチェの思想である。