菅原正樹の想い出

さて、神沢夫妻、神沢昌宏さん、神沢敦子さんについて纏めようと思ったら、Facebookから消滅してしまっていたから、たまたま眼についた大江健三郎の『個人的な体験』メモを再録してみたが、私がいいたいことは、ひょっとして私が少し「博識」だとしても、大学人でも批評家でもないから、「ゲイ・バーの主人」が物識りである職業上の必要があるというのと同じ程度の意味しかない、つまり、「無意味」しかないのだという皮肉である。実際、私が知っているのは「フランスの実存主義者の言葉」だけではなく、フランスの構造主義者の言葉も知っているし、それ以外のことも知っているが、全部ただのアイロニーだというようなことだ。

田口さんによれば、村上陽一郎は非常に折り目正しいアカデミシャンだそうだ。きっとそうなのだろうと思うが、私自身は「暴力」以外の手段を持ち合わせていない。私が人々に差し向けるのは、非常に冷ややかな否定だけである。

幕張本郷の免許センターでの免許更新を終えたが、心身共に疲労困憊した。2001年9月-10月における菅原正樹さんなど、大量のことを検討したが、余りにも消耗したから、書くことができない。

私は非常に体調が悪いから、電車に乗る、街を歩くことすら非常に苦痛で困難だということだが、生活している限り、自宅から出ないのは不可能なのが実情である。

「批評系クラスタ飲み会」への招待が届いたが、私は、「批評系クラスタ」ではないから、即座に断る。

さて、今日考えたことを少し整理すれば、小倉英敬さんと菅原正樹(本名・鈴木正樹)さんの論争、田口卓臣さんと菅原さんの論争、倉数さんと菅原さんの関係、柳原敏夫さんと菅原さん、鈴木健太郎さんと菅原さん、そして、生井勲さん、松本治さん(トロンボーン奏者とは別人)、浅輪剛博さん、とかである。

疲れているから簡潔に申し上げれば、私の結論は菅原さんには悪意があったということであり、もし悪意がなかったとしても、彼の曖昧、難解な言明は混乱を招くものだったということである。

9.11直後のことだが、小倉さんは菅原さんに「ふざけるな」とキレてしまった。それは、菅原さんが、デモよりもラテンアメリカとの経済的な関係を長期的に構築するほうを優先すべきだといったことが、小倉さんには許せなかったということだが、小倉さんが性急だったということだけではなく、当時の9.11直後の緊迫した情勢がそういう結果を生んだと思う。

そのすぐ後、田口さんが、フランスではデモは日本よりも遥かに自由で楽しいから、そういうものを目指すべきだといったら、菅原さんは、デモは死を覚悟してやるべきだとか、デモはデモだ、などといって、結果、田口さんはキレてしまった。私は、菅原さんの主張には何の現実性もなかったし、悪意があったと思う。

フランスの状況は日本の状況と異なるから、日本でフランスのようにデモを自由にやれない、例えば道路一杯に広がって行進できないなどは当たり前のことだが、現代日本反戦デモはイラン革命のようなものとは違うから、別に命を賭ける、死を覚悟するとかいうものではない。その意味で、菅原さんの主張は的外れだし、田口さんを苛立たせいじめるという意図しかなかったと思う。そして、そういう悪意がある人々はいつでもどこでもいるものだ。

駆け足になるが、次に倉数さんのことだが、彼は当時、NAMのセンター事務局長だったが、倉数さんの意見では、例えば、自分が学校の学級委員長だとすると、彼は別に好んで学級委員長をやっているわけではない。成り行きからしてやむを得ず引き受けているだけだ。ところが、そういう学級委員長を、教室の後ろのほうから悪意ある目付きで眺めるような人がいる。菅原さんがそうだ、というのが倉数さんの意見だが、私はその通りだったと思う。

最後に柳原さんだが、柳原さんの意見では、菅原さんのメールは「大江健三郎の文章よりも難解」である。柳原さんはそういうわけのわからぬ菅原さんを排除したかったが、彼は、NAMの副代表という立場であり、会員を理由もなく排除することはできないというジレンマに陥り、結果、メーリングリストで感情を爆発させてしまった。

菅原さんの問題は、彼が文学者、作家だったというようなこととはあまり関係がない気がする。菅原さんに限らず、その人の個人的な事情を勘案しなければ、その人のいうことをまともに理解できない、というタイプの著者がいるが、菅原さんもそうだったと思う。

菅原さんのことは、分裂病の兄、佐川急便、植木職人、親方、やくざ(暴力団員)、外国人などなどという彼の個人的な状況を理解できれば、彼の主張もほんの少し分かるようになる、というくらいであり、そして、柳原さんには理解できなかったわけである。

私は菅原さんの兄が書いた支離滅裂で妄想的な小説を読んだことがある。

菅原さんの兄は分裂病で働けないから、実家で英語の塾をやっているそうだ。

私に分からないのは、もし菅原さんに悪意があったのだとしたら、その悪意がどこからきたのかとか、動機などである。

例えば、菅原さんが小倉さんにいったことと、田口さんにいったことはまるで違う。最初はデモより経済活動が重要だといい、二度目は「デモは、デモだ」と断言した。そして二度とも他人を苛立たせ、限界を超えさせてしまった。

菅原さんは田口さんに意地悪がしたかったのだろうが、菅原さんの意見を読んで田口さんがどれだけ不愉快でやる気をなくしたのかというようなことを私は観察して、気にしないほうがいいといった。

次に生井さんだが、カント研究者だった彼の悪意は、NAM代表に就任した田中さんが「理論から実践へ」と提案したら、理論セクション代表として「実践から理論へ」といってみるとか、当時『蟹工船』ブームがあったが、『蟹工船』はくだらないから俺は『資本論』を読む、とかである。

生井さんの立ち位置は非常に微妙である。彼はそれなりに理論的に市民通貨"L"を検討してみたが、最終的に何もかも全く不明だ、という結論に到達したそうだ。

私から簡単に論評をいえば、理論的に根拠づけられることなど、ほとんど全く何もありはしないのだ、ということだ。彼は地域通貨Qへの加担に理論的な根拠がなかったことを悔いていたが、そういう理由で後悔すべきではないと思う。

松本さんと浅輪さんは、ドラッカーの読者であり、経営学に詳しかったという共通項がある。松本さんは、マーケティングを重視する「リクエスト・メイド」というそれなりに独創的なアイディアを2003年に提出したが、現在はもう既に2012年だ。2003年以降どうなったのか、と思う。

松本さんや浅輪さんの、『資本論』と並べてドラッカーその他の経営学を読むという着想は面白いが、経営学がどれだけ科学的になってきたのだとしても、経営学を経済(科)学と同じだけの科学性をもつものと看做すことはできない。

マルクス経済学であれ近代経済学であれ重要なのは、それが直接に金儲けや事業などとは関係がないということである。事業の立ち上げなどをそれほど科学化、合理化することはできないのだ。

急ぎ足になったが、以上が私からの論評である。鈴木健太郎さんについては、2012年の現在になってもまだ菅原さんが公刊した二冊の小説を読んでいないのに菅原さんを信じるべきではない、ということだ。

そういうわけで、私は非常に疲弊してしまった。國分さんではないが、「暇と退屈」のことでも考えたほうがいいが、私はどうしても"slow"ではない、ということである。

Twitterを覗いたら、演繹とも帰納とも違う「仮説的推論(アブダクション)」がパースより先に既にディドロにあり、自然科学だけでなく、社会科学、人文科学などを横断するものだ、という田口さんの考え方。これは面白い。私はディドロを全く知らないが。

例えば、生物進化と歴史、社会、経済は異なるが、統一的にみようという試みはある。ハーヴェイもそうである。

結果的にうまくいかなかったが、マルクスが『資本論』をダーウィンに献呈したかったということも重視すべきだと思う。その法則性、必然性がどのくらいいえるのか分からないが、マルクスは歴史や経済などに「鉄の必然性」があると看做していた(『資本論』序文)。

ただ、経験的にいえば、一旦成立したソ連が解体してロシア(資本主義国家)に逆戻りしてしまった、という世界史の事実もある。

そうすると、前近代的な体制から資本主義へ、資本主義から(帝国主義などなどを経て)社会主義共産主義(ここが世界史のゴール)、ということなのかどうかは、全く不明だ、というのが現状だと思う。