かつては、きわめてゆっくりとした長い時間が…

かつては、ゆっくりとした長い時間が、ゆっくりと弱く adagio e piano、静寂のなかで「私 je」を構築していたのだが、その静寂を破るものはといえば、時には音楽であり、きわめて稀に騒音であり、さらにもっと稀に、これらの大きなざわめきのなかで、しかしそれらに比べれば不滅の、弱くかき消えそうな天からの至高の音楽だった。実際あなたは、一つの音のように発せられる単独の語、響きの助けを借りずに単独の意味が物音を貫いているような語を、知っているだろうか。このようにして、「私 je」の歴史は、聖アウグスティヌスによって、次いでデカルトによって始まり、両者とも音楽にかかわる概論の著者であり、同様にルソーもまた、彼のささやかな自我 egoによって熱烈な村の占い師であったのだが、こうした歴史は今日オーディオチューナーの轟音のなかに消え去っている。私の思うに、彼ら以前、キリスト教以前、クレド (ego) credo(私は信ずる)が唱えられる以前、受肉した〈み言葉〉が来臨する以前には、egoは存在しなかった。そう、「私 je」は、〈み言葉〉の受肉によって定義され──音と響きがその最初の肉を構成する──デカルトが、静寂に満ちた彼の暖炉部屋のなかで、言葉による至高の言明のなかで、その稀なる変異形を見出した受肉によって、定義される。
騒音や音楽や言説の混じり合ったノワーズ noise(ノイズ)の全面的な氾濫が、かつての「私 je」の審級であった静寂を、急速にきわめて強く presto e fortissimo、消し去り、破壊してしまうのだが、それはあたかも、うすくて壊れやすい花瓶があまりの強い振動で粉々にはじけ飛ぶかのようであり、透明性を利するために、内部のない外部を形成する永遠の現在に向けて投げ出されたかのようであり、実質を保存することのない諸関係、核をもたずにきらめいている多数のものを織り上げているかのようである。かつては濃密な種子であり、固くて、独特で、地味な色合いの小石であった自我 moiは、多数で、透過性で、モザイク模様で、玉虫色にきらめくものになっている。
これがわれわれの孫たちの魅力であり、彼らは、地味で陰気で深遠なデカルトやカントよりも、モンテーニュや、ラ・フォンテーヌや、アルルカンにより近い。彼らはもはやかつてと同じ主体をもたない、あるいはもはやかつてと同じ主体ではない。このことに何か不安があるだろうか。というのも、この種の変化は、無垢で流動的で、液体的で可変的で、可能的で偶然的な魂を、きわめてしばしば変容させてきたからである。今朝、狭い場所に窮屈に閉じ籠った古い魂の後を継ぐのは、孫たちの無数のほほえみである。
私は彼らに、稀な音楽と静寂を遺贈しよう。(ミッシェル・セール『人類再生 ヒト再生の未来像』(米山親能訳、法政大学出版局)p.414-415)