カオスについて

内在平面は、言わばカオスの断面であり、篩のように作用する。カオスを特徴づけるものは、実際、諸規定の不在というよりも、むしろ諸規定が粗描されたり消失するときの無限速度である。それは、二つの規定のあいだの相互的な運動ではなく、反対に、二つの規定のあいだの関係の不可能性である。なぜなら、一方の規定は、他方の規定がすでに消えているのでなければ、現れないからであり、また、他方の規定が粗描されてまた消えるとき、一方の規定は消失してまた現れるからである。カオスは、惰性的あるいは停留的な状態ではない。それは偶然の混合ではないからだ。カオスはカオス化する、すなわち無限のなかであらゆる共立性を壊す。哲学の問題は、思考が浸っている無限を失うことなく、或る共立性を獲得することである(その点で、カオスは、心的であると同様に物理的な存在を有している)。無限をいささかも失うことなく共立性を与えること、それは科学の問題とはたいへん異なる。というのも、科学は、無限運動と無限速度を放棄するという条件で、また、まずはじめに速度に限界(光速)を与えるという条件で、カオスにいくつかの準拠を与えようとするからである。科学において第一のものは、光、あるいは相対的地平である。反対に哲学は、内在平面を前提したりあるいは創建したりすることによって仕事を始めるのだ。それ自身の可変的な湾曲によって無限運動を保存する内在平面こそが、絶えざる交換のなかでそれ自身に回帰し、またそればかりでなく、保存されている他の無限運動を絶えず解放するのである。そのとき、諸概念は、それら無限運動の強度的=内包的縦座標(合成要素)を、有限な運動として──すなわち平面のうえに書き込まれる可変的な輪郭を無限速度で形成するところのそれ自身は有限な運動として──描かなければならないのだ。内在平面はカオスの断面をつくることによって、諸概念の創造を要請するのである。(ジル・ドゥルーズ、フェリックス・ガタリ『哲学とは何か』財津理訳、河出書房新社、p.63-64)

哲学とは何か

哲学とは何か

とりあえず、ドゥルーズ=ガタリの『哲学とは何か』から一箇所。カオスが言及されているのは、本文で後二箇所あり、結論が「カオスから脳へ」と題されています。→(URL省略)

フェリックス・ガタリ『分裂分析的地図作成法』(宇波彰・吉沢順訳、紀伊國屋書店)では、p.163-183です。彼の議論を一言で要約するのは難しいですね。彼が参照している文献だけ確かめておけば、以下です。Lubert Stryer "Biochemistry" W.H.Freeman and Company, San Francisco, 1981, p.103-104. "La Recherche", numero special sur l'avenir des biotechnologies, n 188, mai 1987, p.614 et suiv. '"Les reacteurs biologiques". Jacque Schotte "Une pensee du clinique. L'oeuvre de Vikor von Weizsacker" Universite catholique de Louvain, Faculte de psychologie et des Sciences de l'education, mai 1985. 訳注で指示されているのは、マンデルブロー『フラクタル幾何学』(平中平祐訳、日経サイエンス社)。J・グリッグ『カオス──新しい科学を作る』(上田薭亮監修・大貫昌子訳、新潮文庫)。ヴァイツゼッカーゲシュタルトクライス』(木村敏他訳、みすず書房)。