ソングマスター

「どうかしたの?」
彼女は尋ねた。
「彼は牢獄にはいない」
「じゃあ、どこに?」
「病院だ」
アンセットは答えた。兵士たちがあるドアの前で立ち止まった。
「あの男はすっかり薬漬けだ。いまのところ、あまり見よい状態でもないが、ありのままの彼を見せるようにと〈いたち〉から言われたのでね。気の毒だが」
最初、麻酔が効いているほか、べつに変わったところも見あたらなかった。ジョジフはかれらを見たが、目はうつろで、口は半びらきだった。彼は細長いベッドに腰かけ、壁にもたれていた。ぐったりと足をひらき、腕はだらんとわきに垂れていた。動く意志などまったくないように見えた。
それからキャレンの視線が下へ、彼の両足のあいだに落ち、同時にアンセットも気づいて振り返り、彼女の視線をさえぎろうとした。もう手遅れだった。
彼女が悲鳴をあげ、彼をつきのけ、なおも悲鳴をあげながらジョジフの肩にとりすがり、自分に向かって引き寄せ、悲しみに悶えながらしっかりと抱きしめた。ジョジフはどさりと彼女にぶつかり、がくりと首を折り、よだれを流した。狂ったような彼女のわめき声がしばらくつづき、それから徐々に弱まり、やがてとうとうしゃくりあげる泣き声もたえて、部屋のなかがまた静まりかえった。彼女はアンセットを見た。彼の顔はすさまじかった。そこにあらわれた感情のためではなく、そのあまりにも完全な無表情のために。(オーソン・スコット・カード『ソングマスター』冬川亘訳、ハヤカワ文庫、p.431-432)

アンセットは再び、歌をうたった。
しかし、それは以前のあらゆる歌とちがって、繊細な歌ではなかった。歌のないこの二年あまりに、彼のテクニックの大変は失われており、しかも部屋を歌声でみたすとか、メロディの微妙さを聞かせるとかいった顧慮はいっさいなかった。それは言わば本能の歌であり、ソングハウスがアンセットの才能にかぶせた化粧板にではなく、むしろソングハウスが徐々にしか気づかなかった彼の内部の諸力、他人の心にあるものを正確に読みとり、それを造りなおし、こねまわして形をつけ、アンセットが感じさせたいと思うものを人々に感じさせる力に依存していた。
その歌は恐ろしい歌であり、部屋のすみにいて、直接うたいかけられなかったので、そのすべてを理解することができなかったキャレンでさえ、からだが凍りつくような気がした。
そして、そのほとんどすべてを理解したリクトルスにとっては、その歌はこの...世の終末だった。それはみずから犯した罪のすべてを胸もとにつきつけられたかのようなものであり、意に反して彼は罪の意識を、神の目がひたと自分の魂を見おろしているような、悪魔の歯が自分の心をかじっているような、恐ろしい罪の意識をかんじた。復讐の女神たちが、視界のすみで情熱的に羽ばたいていた。彼は思いきり声をふりしぼってわめいた。どんな声でもかき消されそうなすさまじい絶叫だったが、アンセットの歌の声だけはそうはいかなかった。
歌声はなおも色鮮やかにつづいた。
リクトルスに対するアンセットの裏切られた愛の色、アンセットに対するミカルの破壊された愛の色、そしてアンセットのジョゼフとの夜の永遠に去ってしまった情熱とやさしさと内気さの色に染まって、歌は流れつづけた。それらの色はみなアンセットの苦痛の黒さに、暗くかげっていた。肉体の受け取る最高の喜びが引きはがされたいま、そこには肉体の耐え得る最悪の苦痛が置きかわっていたのだ。こうして、これらあらゆる悲嘆と苦悩とが、彼から盗まれていた彼の歌によって空中をみたし、彼の節制は徐々に破壊されていった。いまやもう節制などかけらもなかった。いまやもう、彼を押しとどめるものなど、なにもなかった。続きを読む(オーソン・スコット・カード『ソングマスター』冬川亘訳、ハヤカワ文庫、p.432-433)