狼のバラード

ようやく視力を回復したおれは恐ろしいものを見た。
眼前でよろめいているのは、悪魔的な美貌の光夫ではなかったのだ。無残に老い朽ちた、おそろしく高齢の老人の醜貌だった!
「たすけてくれ! 兄貴…」
老人はしゃがれた声でささやいた。
「身体が変なんだ……息が苦しい……心臓がとまりそうだ……兄貴、兄貴よう……」その老いぼれは光夫だった!「力が、全部なくなってしまった……死んじまいそうだ……どうして……」
「輸血の効果が切れたんだ」
おれもささやき声しかだせなかった。
「狼人間の力が同時に消えたんだ。光夫、おまえ、三ヶ月のうちに、一生分の生命力を使い果たしちまったんだ……」
「兄貴、たすけて!」
おれはたすけられなかった。疲労で身体が動かなかったのだ。光夫はよろめき倒れ、屋上から墜落した。おそらく地上へ叩きつけられる前に、老化しきった心臓は停止していたに違いない。
「光夫……馬鹿野郎が……」
おれは屋上のコンクリートの上に横たわったまま、呆然と暁光の射し初める空を眺めていた。/おれもまた急激に年をとってしまったように感じていた。おれの分身が……おれの青春がたったいま死んだのだった。(平井和正『狼のバラード』p.243-244)

狼のバラード (ノン・ノベル 20)

狼のバラード (ノン・ノベル 20)