詭弁を讃えて

言語による破壊活動の可能性と条件を、数時間かけて徹底的に検討してみた。それはそうと、マルクス資本論(一)』(エンゲルス編、向坂逸郎訳、岩波文庫)読了。何度読んだかしれないが、昔々から、人間労働が重要だなどと思ったことがただの一度もない。

Phineas Newborn, Jr. Trio "The Newborn Touch". Walter Davis, Jr. "Davis Cup". Hank Jones Great Jazz Trio "My Funny Valentine".

資本論』第一巻は徹底的に読んだし、特にその第一分冊は暗記するほど繰り返し読んだから、一般的な経済的内容が展開される第二巻、第三巻を相対的に具体的で個別的な細部に至るまで徹底的に追及し把握すべきだが。それでも、資本の回転、流通などは、経済学の門外漢には少し難しい。

それに私はマルクス主義マルクス経済学その他を少しでも信用しているわけですらなく、非常に疑わしい根拠が薄弱な意見だと思っているし、特に価値を見出していない。不信心の対象は、何も宗教だけではなく、マルクスエンゲルスレーニンその他も全員同じである。例外など全く何もないのだ。

私が熟考してみたのは、誰を破壊すべきかということだ。それは松本治でもmiyaさんでも後藤さんでもなく、柄谷行人でも鎌田哲哉でもなく、ましてTwitterで偶然擦れ違った赤の他人でもないはずである。破壊しなければならない誰かが、きっと存在するはずである。それを見出さねばならない。

ルネッサンスの魔術の問題は自然であり物質だったが、現代の魔術においては言葉だけが問題である。一般に言葉の力で現実を変えることはできないが、言説が一定の効果を持つ場合がある。それは特定の条件でそうなるのだが、ありとあらゆる暗示、詐術、罠、洗脳を考慮すべきである。

例えば政治的プロパガンダ、経済(資本主義)における広告産業などを検討してみればいいであろう。──人々に一定の政治的信念を植え付けるためにはどうすればいいか。買いたくもない商品を購入させるにはどうすればいいか。等々。そういう欺瞞が、現代社会には無数に存在している。

それから、詭弁、修辞学、弁証論など、積極的に虚偽に関わり虚偽を展開するありとあらゆる技術が重要だ。それらと真理が別箇にあるというのは、古典的な意見である。プラトンにおいては詭弁とは別に哲学があり、カントにおいては弁証論と別に分析論、論理学があるが、私の問題はただ単に詭弁である。

私は自分に残された時間、消費可能な金銭、体力、技術などの条件をよくよく検討し吟味してみて、そういうことを考えたが。要するに、時間が無限にあるわけではないということであり、そうすると、テロリズムの標的を絞り込み限定しなければならないであろう。

性急、拙速になるべきではないといいながら、そういう私が一番急いでいる。それは時間がそれほどないと思うからだが、錯覚なのかもしれない。私がそう思うのは、身体感覚、特に苦痛=信号に注目するからである。そうすると、事態は切迫しているのではないか、と思えてくる。

私は元々詭弁家であり、哲学を学ぶ遥か以前、子供の頃からそうだ。ありとあらゆる詭弁、レトリック、罠などを研究していた。正規の論理学を学ぶより先に『詭弁論理学』を熱心に読みたがるというような子供には、注意し用心すべきである。私には他人の矛盾、不整合を論うことは、昔々から容易である。