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Charlie Mingus "Tonight At Noon" "Blues & Roots". アラン『思索と行動のために』『感情 情念 表徴』『人間論』。アリストテレス『天体論』『生成消滅論』『問題集』。アランもアリストテレスも面白いが、アランは疑わしい。

@sunamajiri スピノザの『エティカ』の神は超越神・人格神・創造神ではありません。パスカルのようなカトリック信者にとっては、既にデカルトの『省察』の神が「哲学者の神」として否定されるべきものでした。デカルトスピノザが彼らなりに敬虔だったとしても宗教家には関係ないのです。

カントの『純粋理性批判』を最終的と看做したい多くの人々がいる。私はそう思わないが、彼らがそう思いたい理由は分かる。いつまでも永遠に哲学研究に携わることはできないからだ。フィヒテを全部調べるなどは万人ができることでも、みんなが必ずやるべきことでもない。

カントには多くの疑わしい意見がある。物自体を証明できないのは当然だが、それだけではない。

私なら自分が日本語という特定の言語で書いているということだけは少し確かだと思うが、しかし、それだけだ。

黒人、アフロ・アメリカンに「本質」などないと思うが、ミンガスやマル・ウォルドロンを聴いていると彼らの独特の情緒に感銘を受ける。

自分のハンドルネームに「脱原発に一票」と付けている人はまだしも、「脱原発に70億票」と付けている人々は勝手に他人を代表できるつもりでいるのか。さらに、「小沢信徒」と自ら名乗る人々などは何を考えているのやらさっぱり分からぬ。そんなに誰かの奴隷になりたいのか。

Twitterなどで少し政治の情報が入るが、「嘆かわしい」という以外の感想は全く何もない。

自由な民主主義体制は、自分で自分を奴隷にしたい膨大な「自由人」で溢れている。

政治は人間を堕落させる。反体制的な政治であろうともだ。

政治において人々は考えることをやめる。もはやretweetするだけである。Twitterでそうであるだけでなく、常にそうなる。他人の無根拠な意見を自分も無根拠に追認し「拡散」するだけだ。そんなことはくだらない。

《これはプラトン的な理念(イデア)ではなく、カント的な統整的理念である》などは見苦しい窮余の言い訳、言い逃れであり、誰も説得することはできない。それにそういう連中は自分が使っている特殊な術語の意味を知らない。ナンセンスを語っているだけだ。

Charlie Mingus And His Jazz Groups "Mingus Dynasty".

彼らは自分自身の自由な選択でどこまでも地獄に堕ちていけばいいだけだ。

私は共産主義だろうと《この世界そのものへの信仰》だろうと、形而上学や信仰を回復させる必要を一切認めない。