アラン『小さな哲学史』橋本由美子訳、みすず書房

アラン『小さな哲学史』橋本由美子訳、みすず書房。読了。彼が古代についていうことは非常にいい加減である。19世紀においてオーギュスト・コントを重視したことが目を惹く。

コントの実証哲学や社会学を読んだことがないが、そもそも社会学全般が大嫌いである。しかし、少し読んでみよう。アランだけを読んでコントを判断できないからである。

私は後のデュルケム、タルドウェーバーその他も好まない。私には抽象的な哲学のほうが向いている。マルクスエンゲルスレーニンその他も好きではない。

哲学者が実体と語ったのは実は生産力や交通諸関係のことだったというマルクスの意見を私は信じない。

アランがマルクスフロイトなどを読みながらデカルト主義を支持してそれらを斥け、19世紀のものではコントだけを評価した理由が私には分からない。彼はまるで20世紀における古典主義時代(17世紀)の人間であるかのようだ。

アランがエンペドクレスについていっていることは適当だから、他の哲学者達について述べている意見もそうなのではないかと疑う。

アランが述べていることで適切な評言はただの一つもない。

やはり彼は『幸福論』などの著者として記憶されるべき人であろう。

そういえば新潮社がショーペンハウアーの『幸福論』を大いに宣伝して売り出し、ついでに便乗して佐伯なんとかとかいう人の『幸福論』(内容からみれば、実は「反・幸福論」)を売り込もうとしているが、どうみてもショーペンハウアーの哲学は消費社会で爆発的に売れるような代物ではない。少し「反時代的」なことをいえば売れるのではないかというさもしい根性があるだけだ。

ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』におけるカント解釈は恐らくただ端的に誤解であり間違いだろうが、その主著が広く読まれたわけではないし、私にしてもその細部まで知悉しているわけでもない。彼は『読書について』『自殺について』『幸福論』などエッセイによって読まれた。そういう哲学者は多い。ヒュームにしても同時代においては、『人性論』ではなく彼が後年書いたエッセイで読まれたのである。プラトンにおいても彼の抽象的な理論よりも神話(ミュートス)が好まれる。

アランもプラトンの「エルの神話」を重視するが、プラトン主義そのものをよく吟味検討しないのはおかしい。

「エルの神話」を重視するのは『幸福論』でも『小さな哲学史』でも変わらない。アランは余程それに感銘を受けたのだろう。

エンペドクレスが自分を不死なる神と考えたことはアランにとっては妄想だったようだし、彼の「4つの根」及び「愛と憎しみ」から成る自然哲学も荒唐無稽に映ったようだ。事実我々が考えてもそうだが、もしそう考えてしまうならば、古代哲学を理解することはできない。エンペドクレスのような不思議な人が出現したことにも一定の必然性があったのだ。彼においては、哲学、宗教、政治、文学、医術、魔術が分離せず渾然一体となっている。

理屈だけからいえばエンペドクレスの多元論は甚だ不徹底だったし、その思考の枠組みは濃厚に神話的だったというしかないだろう。しかし、しつこいようだが、哲学と宗教の完全な分離自体がなかったのである。

エンペドクレスが影響を受けたピュタゴラスがそうだったし、タレス以前に、『冥界下り』などオルフェウス教が存在していた。それが原初のコスモロジーである。

古代世界においてピュタゴラスを冷たく斥けたのはヘラクレイトスくらいだし、そのヘラクレイトスにしても、調和(ハルモニア)という基本思想を継承している。

ただ、「調和」の意味内容が異なる。ピュタゴラスや彼の教団の人々にとっての「調和」とは、音楽的であり数学的なものだった。具体的に竪琴の複数の弦の協和する響きにおいてあるものだったのだ。ところが、ヘラクレイトスにおいては少し違い、「調和」は音響などの物理的なものではなく思想的なものである。彼が語る「弓」は、具体的な楽器などではなく、「生」との言葉遊びである。彼は相反し矛盾し対立し合う自然世界の多様な生成の根底に「調和」があるとみなしたのである。

ヘラクレイトスは同時代人から「暗い人」といわれ、後世セネカなどから「泣く人」といわれ、ニーチェは彼を悲劇的な哲学者だとみなした。しかし、彼のいう「戦争」などを現代の我々の理解と同じだと考えてしまうと、間違えるだろう。悲劇的などというのも同じである。彼が泣く人といわれたのは、人間の愚行を見てデモクリトスは笑い、ヘラクレイトスは泣いたという伝承があったからである(セネカ『人生の短さについて』)。しかし、彼らが笑ったことも泣いたことも共に肯定の一形態である。