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田口さんがTwitterが金さんという方へのヘイトスピーチだらけだからいやだと書いていたけれども、匿名的で「自由」な言論の場を保障してしまうとどうしてもそういうことになってしまうのでしょう。どうすれば避けられるのかちょっと分かりません。

モラルの問題にしても、個々人にモラルがないからこういうことになっているはずです。

ツァラトゥストラ』を読むならば、神を殺害したのは「最も醜い人間」であるということに注目すべきでしょう。最も醜い人間は神から自分の醜さを目撃された羞恥に耐えられなくて神を殺害したのです。それが「人間主義」の結末です。

ニーチェは、神を殺したから、神が死んだから、人間は解放されてハッピーだ、とかいう話ではありませんが、誤解が多いようです。

「世界は深い、
昼が考えたより深い。
世界の痛みは深い──、
悦び──それは心の悩みよりいっそう深い。
痛みは言う、去れ、と。
しかし、すべての悦びは永遠を欲する──
──深い、深い永遠を欲する!」(p.527)

「──悦楽はあまりに富んでいるゆえに、苦痛を渇望する。地獄を、憎悪を、屈辱を、不具を、一口にいえば世界を渇望する。──この世界がどういうものであるかは、おまえたちの知っているとおりだ。」(p.526)

「「おまえが何者か、わたしにはわかっている」とツァラトゥストラは、鉄の声で言った。「おまえは神の殺害者だ。わたしをとめるな。
おまえは、おまえを見たものを許すことができなかった。──その者はおまえをいつも見た、しかも徹底的に見たのだ。最も醜い人間よ。おまえはこの目撃者に復讐したのだ」」(p.424)

「しかし、かれは──死ぬほかはなかったのだ。かれは、一切を見た目で見たのだ──人間の底と奥を見たのだ、人間の隠された汚辱と醜悪のすべてを見たのだ。」(p.428)

「かれはいつもわたしを見ている。このような目撃者にわたしは復讐しようとしたのだ、──復讐できなければ、自分が生きまいとしたのだ。
一切を見た神、したがって人間をも見た神、その神は死ぬほかはなかったのだ。人間は、そういう目撃者が生きていることに堪えることはできないのだ。」(p.428)

大抵のニーチェ主義者(自称)よりもニーチェ自身の著作のほうに意義があるのは当然ですが、ニーチェが概念的な体系構築を断念し、詩と箴言で語ったのは、カントにおいて哲学の終焉、死を感じたため、芸術的な形象で語るしかないと考えたからです(『哲学者の書』)。ですからニーチェにはまともな論文は『道徳の系譜』しかありません。