tweets

Twitterなどで、絶対に結論が出るはずのない問題を巡って激論を交わし、疲れてしまって互いに憎み合い、最終的に絶交してしまうというのをよく見掛けますが、問いの前提を再検討したほうがいいです。

Internetにそもそも限界がありますが、140字の縛りがあるTwitterはなおさらのことで、有意味で建設的な議論になるはずがありません。最初から不毛が約束されています。

ネットでは顔が見えない、表情が読めないなどは当然ですが、メーリングリスト掲示板などでも建設的な議論は難しいのに、Twitterでそれをやろうというのは無謀です。

そういうことで人間関係が破壊されていくのを観察すると、もったいないような気がします。

ネットが悪いとはいいませんが、弊害や限界を意識しないとたいへんなことになってしまうでしょう。そうしますと、当然ですが何も生まれません。

「言葉で現実を切り分けて属性がうまれるが、それを肯定してしまうのは虚構だ」と私にいってきた人がいますが、そういうことを140字で説得的に議論するのは不可能です。細部や事例を挙げたりして話すのでないなら他人に伝達できません。

例えば、トランスジェンダーユダヤ人、パレスティナ人などはどうなるのでしょうか。言葉と現実の関係というのはそれほど易しい問題ではありません。「虚構だ」といって済ませることができるものではありません。それは「素朴実在論」とは関係がありません。

みんなに哲学史を勧めるつもりはありませんが、自分独自の考えが他人に伝達不可能かもしれないという可能性は考慮したほうがいいです。

そもそも「切り分け」とかいうことでその人がいいたかったのは何なのでしょうか。具体的にはどういうことなのでしょうか。そういう具体論を140字の枠組みでやるのが不可能なのです。

言葉が現実を切り分ける、切り分けて属性が生まれる、属性が肯定される、その肯定が虚構である、いずれの断言も疑わしいものです。

私がいっているのはごく常識的なことですが、Twitterにはちょっと驚くような主張をする人々が沢山います。

過激な相対主義の言説も80年来以来聞き飽きたので、もういい、という感じになってしまいます。

過激な言説も30年主張し続けたらもう過激でも斬新でもありません。ただの陳腐な、しかも無根拠な断言です。

自分は「ラディカル」であるという人々にわけのわからぬ思想に到達する人々が沢山います。経験的にそういう人々のことを知っています。

「自分は男でも女でもないから彼とも彼女とも呼ばず別の代名詞を考えてくれ」と真面目に要求する人がいます。その人は別にインターセックス半陰陽)ではありません。つまり、その人が男でも女でもないのは意識や観念、想像力の世界、或いはパフォーマンスの世界などでしょう。そのように語りさえすれば、或いはパフォーマンスをすれば越境は容易だとかいうのは本当なのでしょうか。私は疑います。

トランスジェンダーのトッピーが改憲論者で私が護憲論者だから幾ら議論しても合意には到達しなかったというのも懐かしい思い出です。

そのトッピーはネットから消滅し、行方不明です。多分名前も痕跡も全部消したでしょう。トッピーの意思ですから尊重しなくてはなりません。

今は「トッピー」という固有名も棄て、全く別の名前で別の個体、人格(厳密にいえば個体と人格は同じではありませんが)として地球上の何処かで元気に生活しているのでしょう。死んでしまったはずはない、と思います。

あかねでは蒸発してしまった人々が相当数います。そもそも究極Q太郎さんが失踪したし、彼を批判していたトッピーもいなくなってしまいました。現在のあかねが私の知っていたあかねではないというのは自明です。

そういうことも悲惨な記憶のひとつです。

話を戻せば、Twitterでひばりさんとこげはんさんが論争して絶交してしまったのは、発達障害者にとっては共同体主義がいいか個人主義がいいかというような議論からでしたが、問いの立て方がおかしいと思います。共同体を重視したら個人の自由がなくなってしまうのでしょうか。個人の自由を重視したら、共同体を基礎にする必要はもうないのでしょうか。そのへんを具体的に考えていかなければ、そういう二者択一で議論してしまうことはできません。しかも、140字です。お互いに平行線で絶交してしまう結果になっても当然です。

他者や社会を認識できない発達障害者に社会を強制するのはハラスメントだというのも、どうなのでしょうか。障害は障害として、他者、社会、国家などが実在しているのは事実ではないでしょうか。

私はトゥギャッターを読んでみて、ひばりさんが差別的とはいえないのではないか、という結論をいいましたが、彼女はそれでも私が口出ししたことが許せなくて、反吐が出る、憎む、最低の人間だとかいう話になってしまいましたから、驚いてしまいました。繰り返しますが、私は彼女の主張に少しも反対ではなかったのですよ。なのに彼女は私を憎んだのです。そういうことはわけがわかりません。

Toshiko Akiyoshi "Toshiko Meets Her Old Pals"
"Just Be-Bop" (Produced by Toshiko Akiyoshi)