近況アップデート

おはようございます。今日の出発点は、ここからです。「哲学教授資格試験の口述試験で、彼は「幸福」について話さねばならなくなる。そのとき、彼は言ったものである。「私はそのような概念のことなど存じません」と。」(ジャン=ピエール・ファーユ『息苦しいのだ。また電話するよ』)──「彼」とはドゥルーズです。「私はそのような概念のことなど存じません」には傍点が振られていますが、恐らくフランス語原文はイタリックなのでしょう。インターネットで再現することはできません。

「さようなら。私は後ろを振りかえらずに、出発します」──ジャン=リュック・ナンシーが『あらゆる意味=方向における意味について』で引用していますが、やはり傍点が振られていますから、イタリックなのでしょう。『千のプラトー』からの引用だそうですが、私は『千のプラトー』の議論の多くに疑問ですが、それでもナンシーが引用したのはいい言葉だと感じます。

どうみてもドゥルーズが幸福という概念を知らなかったということはあり得ません。例えばアランが幸福を論じたということなどよく知っていたはずです。彼は幸福について話したくなかったというだけです。けれども、哲学教授資格試験の口述試験というのは大事な機会ではなかったのでしょうか。与えられたテーマを「存じません」と答えたら、試験に落ちたでしょう。そういうことも承知したうえで、彼はそういう返事をしました。