近況アップデート

言語学といっても(それも近現代の言語学に限定しても)、ソシュールバンヴェニストヤコブソン、チョムスキー、社会言語学などがありますが、ドゥルーズガタリがどうしてイェルムスレウの言理学まで知っていたのか長年疑問だったのですが、彼らの書いたものを調べ直して自分なりに少し分かりました。もともと、クリスティアン・メッツという映画学者がイェルムスレウに言及したのをガタリが読み、自分でもイェルムスレウを読んでみて、ドゥルーズにも紹介したというような経緯のようです。そしてそのドゥルーズは、彼自身がイェルムスレウを読んで、「スピノザ的」と考えたのだということでしょう。けれどもやはり疑問があります。

私がイェルムスレウを読んだのは前世紀の末だったと思いますが、その記憶では、イェルムスレウの言語学(彼の特殊な用語で「言理学」といいます)の特徴は非常に形式主義、抽象化を徹底したということになります。その結果、彼の言語理論は例えば、人々が日常的に普通に話す言葉だけではなくて、ジェイムズ・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』の言語にも妥当する、というようなことでした。同時代人は、そういう理由でイェルムスレウの理論には現実性がないのではないかと考えましたが、ドゥルーズは、『フィネガンズ・ウェイク』にも妥当してしまうような言語理論だからいいのだ、と考えたということでした。

けれども、常識的にいえば言語なり言葉を考えるうえで、形式主義とか抽象化をそこまで徹底していいのだろうか、と思います。普通に考えれば、話す存在(人間)も捨象できないし、現実に話される現実の言葉も無視できないのではないでしょうか。けれどもイェルムスレウの場合はそうではなかったし、ドゥルーズガタリにとってはそういうことがむしろいいのだ、という話でした。

ドゥルーズガタリソシュールを検討していないというのは事実です。私は全著作を調べました。『意味の論理学』も、バンヴェニストヤコブソンへの言及はありますが、ソシュールは検討していなかったと思います。もう一度よく調べれば結果は違うかもしれませんが、昨日か一昨日調べたときには見当たりませんでした。

ガタリにしても、彼は言語学マニアなのですから、基本中の基本であるソシュールをちゃんと検討していてもいいはずですが、でも、彼の著作にソシュールは出てきません。ガタリが関心があったのはチョムスキーでした。

ソシュールを検討するということは、語る主体、話す存在(要するに人間です)のことをちゃんと承認し、話されるものであれ、書かれるものであれ、具体的な言葉を具体的に検討するということになったはずですが、ドゥルーズガタリに興味があったのはそういうことではなく、イェルムスレウの形式主義とか、チョムスキーが抽象化が足りないからもっと抽象化してしまうというようなことでした。

他方彼らはラボフの社会言語学に関心がありますが、一方でウルトラ形式主義、他方でリアルな社会言語学、というふうに分裂して平気だというのは、私には分かりません。

私の記憶が正しければ、彼らはオズワルド・デュクロという人の言語論に関心を寄せていますが、それは言語、言葉を権力、政治というような観点から考察する、というものだったはずです。そのデュクロの翻訳はありません。私は学生時代コピーを取ったかもしれませんが、よく覚えていません。

書庫から出してきましたが、Jean Petitot-Cocorda "Physique du sens: De la theorie des singularites aux structures semio-narratives" (Edition du CNRS)ですが、この人はルネ・トムのカタストロフィ理論とかに興味があるようです。

"The Amazing Bud Powell Volume 2" (15) Glass Enclosure (Bud Powell) - 「50年代初めのこと、『バードランド』にはバドがよく出演していた。バドは1週間に何度も出ていた。『バードランド』側ではアパートを提供し、バドの必要とするものはすべて用意した。おそらく終身契約を望んでいたのだろうと思う。そのアパートはイースト・サイドの48丁目にあった。思いたくないが、バドは一種の軟禁状態にあった。私がバドに会うためには『バードランド』のマネージャーであるオスカー・グッドスタインの許可を得ねばならなかった。ある日オスカーからアパートの鍵を借りて、バドの部屋に訪れた。そこにはピアノがあり、バドは私に新曲を何曲か披露してくれた。ひとつ素晴らしい曲があったので、曲名を尋ねると、バドはあたりを見回してから、「〈ザ・グラス・エンクロージャー〉(ガラスの壁、閉じ込め)」と語った。録音しなければと私は思った。(アルフレッド・ライオン)」

不愉快な思い出ですが、NAM解散後、読書会をしたときに、私がドゥルーズを研究していたから、『アンチ・オイディプス』の合理的な解説ができて当たり前だ、みたいな態度を読書会の参加者(元NAM会員)から取られてとてもいやだったということがありました。たとえ何十年読んでいようと、分からないものは分かりません。私も超人ではないので、当然です。

私は最終的には合理的ではないからという理由でドゥルーズは否定するでしょうが、パウエルを否定することはないでしょう。パウエルはジャズが存続する限り不滅だと思います。

どう考えてもドゥルーズフッサールの「根源的信念」「常識(共通感覚)」を否定するのは変です。それでは普通の生活も普通の認識も成立しないからです。

ライプニッツの可能世界やモナドの「収束」を否定するのも変です。それでは、複数の世界が乱立してしまってそれでいい、ということになります。

ラジオで「幻のモガンボ・セッション」をやっていますが、これはすごいです。守安祥太郎は龝吉敏子より才能があるジャズ・ピアニストでしたが、目黒駅で飛び込み自殺(鉄道自殺)してしまいました。理由は分かりません。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%88%E5%AE%89%E7%A5%A5%E5%A4%AA%E9%83%8E

守安祥太郎が死に、龝吉敏子が生き残った(現在も生きている)というのは、天才は生き残れないが、秀才(努力の人)はしぶとく生き残るのだということでしょう。

守安の死の理由は不明ですが、オスカー・ピーターソンとかバド・パウエルと自分を比較して絶望したというのはありそうです。その点、龝吉敏子は、彼女も相当苦労したとしても、楽天的だったのでしょう。

龝吉敏子が渡米して苦労したというのは、口さがない聴衆から、「ピーターソン、ピーターソン」とか「パウエル、パウエル」とか執拗に囁かれて絶望してしまい、日本に帰ってきたということです。

「ピーターソン、ピーターソン」「パウエル、パウエル」というのは、所詮龝吉敏子はピーターソンやパウエルのコピーなのだという意味です。

彼女はチャーリー・マリアーノと結婚し、彼らの娘がMonday満ちるですが、でも離婚してしまいました。

龝吉敏子が1971年に帰国したときは最悪の時期だったはずです。まだビッグ・バンド(オーケストラ)を結成していませんでしたし、ジャズと訣別しようと考えていました。

ジャズ評論家の野口久光がジャケットのイラスト、油井正一がライナーノーツを担当してソロピアノのLPレコードを作らせましたが、それは彼らが失意の龝吉敏子を励ましたかったということだったのでしょう。

私が大西順子を否定する後藤さんやcom-postが不愉快なのは、評論家はミュージシャンを応援したり育てるべきだと思うからです。否定して潰してしまってどうするのでしょうか。

龝吉敏子が秀才タイプだとしても、彼女のピアノはすごいです。戦後の混乱期で外国往来が不自由だった時代にバークリー留学できたのも、ピアノを来日したピーターソンに認められ評価されたからでした。日本のピアニストへのピーターソンの影響力というのはちょっとすごいです。

彼女の初めての録音も、ピーターソンが彼のトリオのベース、ドラムを貸してくれて、それで録音できたということだったはずです。

彼女は日本人初めてのバークリー留学者ですし(渡辺貞夫は二人目です)、ピーターソンともパウエルとも個人的に親交があったわけですから、ちょっと羨ましいような贅沢な環境です。

私は龝吉敏子をほぼ全部持っていますが、若い頃のピアノ演奏は素晴らしいものです。アメリカの口さがない聴衆から悪口をいわれても、気にしなければよかったと思います。

そうはいっても、龝吉敏子を世界的に有名にしたのはやはり彼女のオーケストラでした。それは独創的というか意外というか、本当にクリエイティヴです。エリントンやベイシーとも違いますし、すごいと思います。小野田少尉をテーマにした『孤軍』が特にすごいです。

オーケストラを結成してからも、彼女は時々ソロピアノやピアノトリオで演奏しました。私がよく覚えているのは、死んだ日野元彦(ドラム)らと一緒にやったケネディ・センター(註:ブルーノート東京の間違い)だかでのライヴ録音です。「ウン・ポコ・ロコ」がすごいです。

パウエルの作曲を演奏したがる人はたとえパウエル派でも余りいません。例えば、アル・ヘイグは『バド・パウエルの肖像』を吹き込みましたが、「クレオパトラの夢」を演奏してもらいたいという要請を断りました。音楽的に構造が単純過ぎるというのが理由です。

「ウン・ポコ・ロコ」にしても、ワンコードなのではないかと聴いていて思いますが、でもすごい曲です。パウエルの演奏のなかでベストではないでしょうか。パウエル以上の演奏は誰にもできませんから、これも敬遠されます。でも、アル・ヘイグは『ブルー・マンハッタン』で、龝吉敏子はケネディ・センター(註:ブルーノート東京の間違い)のライヴ盤で弾いています。

「ウン・ポコ・ロコ」というのはそもそも何語なのかも、どういう意味なのかも全く不明です。英語でもフランス語でもないのは確実です。

クロード・ウィリアムソンや龝吉敏子その他若干は「クレオパトラの夢」を弾きましたが、恥ずかしいから断るという人が多いです。それに日本以外では「クレオパトラの夢」は知られていません。そもそも龝吉敏子も、パウエル派でありながら、プロデューサー、レコード会社に頼まれるまでこの曲のことを知らなかったそうです。

なぜか日本だけでうけるという曲やアーティストがいます。バド・パウエルの「クレオパトラの夢」、マル・ウォルドロンの「レフト・アローン」、ソニー・クラークの「クール・ストラッティン」などです。

それらがアメリカ本国では人気がないし知られてもいないのに、日本では超人気というギャップはよく分かりません。

パウエル派といっても、パウエルのような人は誰もいません。アル・ヘイグはパウエルと資質もタッチも違いますし、クロード・ウィリアムソンはパウエルが相当好きで相当模倣していますが、やはりかなり違います。パウエルのようにやるのは無理なのです。その他のピアニストを考えても、ウィントン・ケリーレッド・ガーランドハンプトン・ホーズなど誰を考えても該当する人はいません。

アル・ヘイグクロード・ウィリアムソンは特に日本で人気が高いですが、そういうのをみると日本のファンもセンスがいい、と思います。彼らのピアノはタッチが上品でエレガントです。ハンク・ジョーンズトミー・フラナガンなどもそうですが。

後藤さんはパウエルの芸術は「厳しい」というし事実そうですが、当たり前ですがジャズ・ピアニストの大多数はパウエルのように「厳しい」わけではありません。

だから後藤さんもパウエルに疲れるとウィントン・ケリーバリー・ハリスを聴くというわけです。でもだったら、あんなに大西順子をやっつけなくてもいいようなものですが。

そういえば「パウエルそっくりに弾く」人といえばバリー・ハリスがいました。でも彼もやはりパウエルとはかなり違います。

話が飛び飛びというか切れ切れですが、例えば岡崎さんが誰それというピアニストがこれこれの理由で嫌いだ、といっても、彼の個人的な美意識なのは分かりますが、私自身はもうちょっと客観的にみたいと考えます。彼が嫌いな○○というピアニストもジャズ史に必ず位置づくはずだ、とか考えます。私は音楽家は否定しません。後藤さんが否定する大西順子も同じです。

私が他人を否定したくない理由は自分自身のピアノ演奏がたいしたことがないだろうと思うからです。たいした演奏もできないのに他人を否定しようとはちょっと考えられません。

楽家は否定しないのに著作家、例えば香山リカ斎藤環に辛いのはもうちょっとまともな議論をしてもらいたいと思うからです。吉本隆明や柄谷さんでも同じです。

たとえ柄谷さんであっても、論理的、倫理的に筋が通った話をしてくれるなら賛成するし支持すると思います。

私からみれば、香山リカ斎藤環が論理的なようにはみえません。彼らはラカンを学んだはずですから、もうちょっとちゃんとした議論でもいいのにな、と思います。

斎藤環の一番いい本は『ひきこもり救出マニュアル』だと思います。あれは実にいい本でした。

香山リカの『就職がこわい』はとりあえず就職してみればいいのだというような話でしたが、私には分かりません。

そういえば斎藤環のデビューは『文脈病』でしたが、ラカンベイトソンを結び付けるというのがよく分かりません。

事実関係の細部の訂正をしますが、今聴いていますが、秋吉敏子日野元彦をフィーチャーしたトリオのライブはケネディ・センターではなくブルーノート東京(97年)でした。ケネディ・センターはソロピアノのライブです。

日野元彦という人もすごかったと思いますが、若死にしてしまいました。

私が香山リカを読んだのは子供の頃でしたが、読んで良かったと思うのは、当時は何しろ子供ですから、「ジャック・ラカン」も「パウル・ツェラン」も知らなかったので、彼女の本でそういう人がいるというのを知ったことは良かったと思います。

ラカンセミネールに『アンコール』というものがあり、「愛」を論じているが、邦訳はない、というのは知りましたが、子供ですから、フランス語もできず、読む手立てがありませんでした。

大学でちょっとフランス語を学び、実際にラカンの『アンコール』を読みましたが、私の語学力では困難だったと思います。それに読み取れた範囲でも、随分想像していたような話とは違う、と感じました。

『アンコール』は「女性の性欲という謎」を考えるはずがいつの間にか「女性の神秘家の欲望」を考えるという話に変わってしまうというような議論ですから、大学生の頃の私がよく分からないと感じてもしょうがなかったと思います。

それから、香山リカの本でツェランの「非在のもののばら」を読んでびっくりしたし感動したのを覚えています。その後、『ドイツ名詩選』(岩波文庫)でツェランを読んで、やはり感動しました。最近ツェランの全詩集が出ましたが、まだ読んでいません。

ドイツ語が分からない私がいうのも何ですが、詩ではツェランが一番好きです。日本の詩人では誰が好きだろうかとちょっと考えましたが、よく分かりません。萩原朔太郎立原道造も好きですし、現代詩文庫もあれこれ読んだと思います。

ただ、香山リカの『自転車旅行主義』には最初から疑問でした。ああいうふうに「可能世界」の話をしなくてもいいのにな、と思っていました。

最近の香山リカの本にはそれほど変なことも書いていないからいいと思いますし、勝間和代との論争でも相対的には香山リカが妥当だと思いました。というか、勝間さんは勝ち組系ですから元気がいいのですが、そういう元気な人の発言を読むとこちらは落ち込んでしまいます。香山リカのように脱力しているほうがいいです。

勝間さんの書くものを少し読んでも、とにかく能率を上げればいいのだというような超前向き、ポジティヴシンキングですが、そういうものには慣れることができません。

深夜に暇潰しにどうでもいい話をして楽しんでいるというだけですが、──バロウズが最初に書いた『ジャンキー』で、死には匂いがない、と書いていました。ところが、後年、『デッド・ロード』で死には匂いがある、というか、死の匂いがする、と書いていました。小説ですから本当のことではないのでしょうが、どっちなのだろう、とずっと不思議に思っています。

生きている人間に死について書くことができるのかどうか分かりませんが、死についてバロウズが書いたものよりも、ジュネの『葬儀』のほうが(本当に素人考えですが)説得力があるように感じます。『葬儀』は語り手の「私」が愛した同性愛の青年が対独協力だったが、死んでしまったというような書き出しだったと思います。その青年の葬儀に行って、母親に会って話をしたりします。

『葬儀』で中心的なのはその対独協力の青年ですが、対独協力者ですから救いのない悪で、ジュネがそういう人を描いたということに共感します。彼が最後に書いた『恋する虜』はパレスティナの話ですが、私からみるとパレスティナは正義なのだろうと思うのですが、ジュネがどう考えていたのかはちょっと私には分かりません。ジュネにとってブラック・パンサーとかPLOがどういう存在だったのか、というのも想像もつきません。

浅田彰の意見は、ジュネはブラック・パンサーやPLOの「傍らにいる」のがいいのだということでしたが、私にはよく分かりません。

私はジュネは小説を少々読んだだけですし、戯曲は読もうとしてもよく分かりませんでした。『屏風』とか『バルコン』などですが。ラカンも取り上げている有名なパパン姉妹の犯罪を取り上げた劇もあったはずです。

そのパパン姉妹の犯罪というのはちょっとすごいものですから、当時のフランス社会は驚愕したでしょう。現代日本の我々が秋葉原無差別殺傷に驚くようなものです。

19世紀の精神医学はそれほど科学的でも何でもありませんでしたが、それにとっての問題は、例えば「殺人偏執狂」でした。当時あれこれ事件が起きて問題になったのでしょう。

ジュネの小説では『泥棒日記』が異質だと感じますが、小説なのですし好きな場面が沢山ありますが、全篇にわたって主人公(語り手の「私」)が省察し続けている、思考し続けているのに驚きます。何を考えているのかというと、彼は「悪」を考えています。

『花のノートルダム』は既存の翻訳では日本語に移し変えるのが困難だったようですし、それに私の語学力では現在の翻訳よりもましに日本語にすることもできません。フランス語といっても相当口語、俗語、隠語が入っているでしょうから、堀口大学その他も相当苦労したのではないでしょうか。

客観的にいって同性愛を初めてまともに詳細に描いたのはジュネだったでしょうが、でもそのジュネの文学は同性愛ということが主題というのとは全く違うと感じます。むしろ悪が重要ですし、修辞のレヴェルでは花々とかそういう主題のほうが重要でしょう。

ジュネのような絶対的な例外者であるような同性愛者ではなくごく普通の同性愛者の話といえば、エドマンド・ホワイト『或る少年の物語』『この美しい部屋は空っぽ』などではないでしょうか。他にもいろいろありますが。『潮騒の少年』とか。『焼けたトタン屋根の上の猫』とか。

テネシー・ウィリアムズの『焼けたトタン屋根の上の猫』を読むと当時の同性愛者の余りにも辛い状況が窺われて読んでいてしんどい気もします。

日本文学の同性愛の話が三島由紀夫の『仮面の告白』、『禁色』くらいしか思い付かないのは寂しい限りです。

私自身は、同性愛といっても、実は恋愛やセックスの相手が男性でも女性でもトランスジェンダーでもなんでも構わない、と思っています。ただ単に、みんな怖がって近寄ってこないというだけです。

私のブログに書いてあることは客観的に怖いからいやがられるし避けられるし、実際に会ってみても精神病で情緒不安定で明らかに変な人なので敬遠されてしまうというようなしょうもない話です。

数日前の境界線を越えることができなければ生き延びられないから死んでしまう、という話が分かりにくいという質問がありましたが、こういうものは別に哲学の概念ではなく、私が感覚的にそう感じることを言葉にしているだけですから、それ以上明晰に語ってくれといわれてもちょっと困難を感じます。

エリクソンだと発達段階を考え発達心理学になりますが、フロイトにも『性欲論三篇』のような論文に発達段階の議論があります。口唇期、肛門期、性器期というようなものですが、それほど根拠がありません。フロイトを否定する人々でも晩年も良くない『性欲論三篇』も良くないが『夢判断』や『機知』がいい、という人がいます。ガタリがそうですし、はっきりしませんがフーコーもそう思っていたようです。彼が『性欲論三篇』を快く思わなかったようだというのは事実のようです。

エリクソンだとライフサイクルというような話になりますから、ごく常識的で普通だと思います。

別にエリクソンフロイトの発達段階でなくてもいいのですが、私がいいたかったのは、或る段階から、別の段階に多くの普通の人々は移るけれども、そうすることができない少数の人々がいる、というようなことです。そうしますと、未来がないとか、その後の人生がないなどということになってしまいます。

カウンセラーが私に会って驚いたのは、全く成長しないというか、時間が止まっている人がいる、或る時期で精神的成長が止まってしまっている人がいる、というようなことであったようでした。私自身もそう思います。

2003年から、或いは1994年から、或いは1989年から、何かが確実に変わりました。昔になればなるほどどういうことだったのか分からなくなりますが、それでも何かがあったということだけは事実でしょう。

1989年にはホロヴィッツを聴いたのが決定的ですが、それだけではないはずです。

よく分かりませんが、偉くなろうなどと思わずずっと別府で暮らしていたら幸せだったような気もします。

九州でずっと芸音音楽アカデミーを続けていればよかったのに、と思います。関東に出てきてからろくなことがありませんでした。

NAMに限らず思い出したくないことばかりです。大学も大学院も不愉快でしたし、中学、高校すらいやなので不登校でした。

金銭がなかったからバイトせざるを得なかったとしても、もう二度といやです。

疲れたので今日はここまでにしましょう。お休みなさい。皆様どうか良い夢を。