近況アップデート
吉永さんという人を考えますが、その前に幾つか金銭関係で整理しておく必要があります。吉永さんは、どういう考えであったのか知りませんが、NAM解散後困窮していた私に10000円送金してくれました。彼にはいろいろ批判がありますが、彼がお金を恵んでくれたということに私は率直に感謝すべきだと思います。
田中さん、柳原さん、蛭田さん、大和田さんも合計で幾らかは忘れましたが、私にお金をくれました。攝津基金とかいったと思います。生活費ということではありませんでした。彼らの意見では、私の精神病を治療するには、精神病院に通院して薬物を飲むよりも、田中さんと懇意の整体師の女性のところに通うべきだということであったのです。彼らが出してくれたお金というのは、私が整体治療を受けるためだったのです。
私の記憶では、その整体の女性のマンションは確か東高円寺だったと思います。そこに通いました。私は代替医療のことを全然知りませんが、なるほどカリスマ的な人だというのも何となく分かるように感じました。
確か2ヶ月ほどその女性のところに通ったはずですが、それでやめてしまいました。理由は、彼ら4人も生活が楽でないからお金を送り続けるということが苦しいし、私のほうもただ単にNAMで知り合いだったから彼らからお金を恵んでもらうのが申し訳ないと感じていたので、お互い何となくお互いの考えを了解しましたから、そういうことをやめることにしたのです。
繰り返しになりますが、私は代替医療をまるで知りませんから、そういうことに意味なり効果があったのかどうかは全く分かりません。私が薬物を飲むべきではないという人々は多くいました。美術家の北川さんなどRAMの人々もそうでしたが、彼らが精神医療の素人だったとしても、そういうならば私自身そうですから、結局分かりません。事実は2012年になっても少しも快方に向かわないし、薬物が劇的に減らされているのはただ単に何を飲もうと効果がないという理由しかないということです。
吉永さんの話に戻りますが、彼はもともとランボー研究者でしたが、私がそれを知ったのは、NAM解散後だと思います。杉原さんが実はアルチュセール主義者だったと知ったのがNAM解散後であったというのと同じです。
吉永さんはNAM中国・四国、NAM LETSで活動していました。NAM LETSでは連絡責任者をやっていました。私の記憶が正しければNAM LETSの最初の代表者は西部忠さん、二代目の(そして最後の)代表者は松本治さんだったと思います。
吉永さんという人は彼なりに真面目であり、倫理的だったのでしょうが、でもしかし、彼の真面目さや倫理というのは私には理解できないようなものでした。
NAMでは隠していたのだとしても、吉永さんはもともと文学研究者だったのですから、普通の人では見付けることのできない文献を探し出す能力があったはずです。ちょっとびっくりしますが、彼は西部さんが書いて公表したありとあらゆるものを読んでいました。
そういう吉永さんは、西部さんの理論やQに肯定的だったわけではありません。柄谷さん親子や後藤さんといっしょになってQを破壊してしまうことが彼なりの絶対的な正義でした。でも、2002年の末にどうして、彼がそのような結論に到達してしまったのかということは、幾ら考えても推測してみても私には理解できません。私に分かるのは、彼がそういうことを公言し実行したということだけです。
吉永さんがやったことは、Qの委員会のプログラマー連中を激怒させました。逵さんという人は非常に温厚な人格者でしたが、それでもこのときQの委員会で吉永さんを「馬鹿」と罵ったはずです。
吉永さんの行為を正確に説明することは、パソコン、インターネット、プログラミングの専門知識のない私にはできません。私なりにいえるのは次のことです。QはWinds_qというソフトウェアで地域貨幣を決済していました(現在も多分そうだと思いますが、どうなっているのかよく知りません)。柄谷さんの息子さんが謝罪と称して「3Q」をQ会員にプレゼントしようとしたということは昨日いいました。そのときに、吉永さんはこういうことをやったと思います。柄谷さんの息子さんから贈られた「3Q」を決済します。そして、Winds_qの画面でマウスを右クリックし、前の画面に戻ります。そして、もう一回決済します。そのようなことを無際限に繰り返した、ということだと思います。
吉永さんは地域貨幣の決済を無限に繰り返してしまいました。そうしますと、一回一回決済されるのはたかが「3Q」だとしても、彼は無限回反復しましたから、最終的に莫大な金額になります。そのようなことを、吉永さんは、QそのものやWinds_qというソフトウェアなどへの「実践的な批判」なのだと考えました。
Winds_qで地域貨幣を決済しても、右クリックすれば元の画面に戻れて決済を無限に反復できるのだというようなことは恐らく誰も考えなかったようなことだと思います。ですから、セキュリティホールということなのでしょうが、でもどうして、そのセキュリティホールを突いて地域貨幣の決済を無限に繰り返すことがQへの有意味な批判になるのか、全くわけが分かりません。
けれども私が吉永さんを許せないのはそのことではありません。それは次のことです。NAMに「NAMとQの特別委員会」が設置され、そこにQの委員会から「Q大使」として逵さんが招かれました。吉永さんはその逵さんを実に残酷に悪意的に罵倒したのです。
私は、NAMの人々は自発的にNAMに入ったのだから、少々いやな思いをしたとしても致し方がなかったと思います。でも、逵さんはNAMとは関係がありません。そのような一般の人々に、必要がない苦痛を与えたり、不愉快な思いをさせたり、罵倒したりするといったことは人間としてやってはならないことだと思います。けれども柄谷さんにしても吉永さんにしても、NAM会員ではない人々(Qの委員会やQの一般会員の人々)に対して配慮が必要だというような考えは少しもありませんでした。彼らの意見は、Qそのものが「ママゴト」だから「Q大使」(NAMとQは別団体ということになっていましたから、意見調整のためにそういう役目の人が派遣されるということになっていました)も「ママゴト」であり、故にQ大使としてNAMに招かれた逵さんに幾ら無礼なことをしてもいいし残酷に罵倒しても構わないというようなことでした。そのような思想は非倫理的というほかないと思います。
逵さんにしても、『可能なるコミュニズム』や『NAM原理』などを読まなかったというわけではありません。彼はそれらを読んでいました。そのうえで熟慮して、NAMに入らなかったのです。でもQやQの委員会には入ってきました。彼にはプログラミングができましたから、開発部に入って穂積さん達と一緒にやっていたはずです。
逵さん自身がQの委員会で書いていましたが、彼は若い頃、左翼党派の専従者として働いていました。その党派で、非常に不愉快な体験をしたそうです。それはこういうことです。党派のなかで、或る日突然、一部の人々が、悪であるなどと断罪されてしまいます。そうしますと、昨日まで友達、同志だったのに、今日からは敵だというようなことになります。そして、そのような人々は最初から悪意があったはずだから、そのような人々がこれまでやってきた全てが悪意であると解釈されます。さらに、党派の歴史も書き換えられます。悪とか敵にされてしまったような人々は消去されてしまったり、そうでなくてもそもそも最初から悪であったのだというようなことになってしまいます。逵さんにはそういうことが非常にいやでした。まさかQでそういう体験をしてしまうなどということは予想しなかったでしょう。
私からみれば、その逵さんは非常に公平でしたし、彼がQの委員会やNAMの特別委員会で主張していたこともごくまともなものでした。現在の混乱を齎しているのは柄谷さんだから、せめて柄谷さん自身の口から直接、一体どういうことになっているのか説明をしてもらいたいというようなことでしたが、逵さんやQの人々がそのように考えても当たり前なのではないでしょうか。
Qの紛争というのは実務労働者が代表に反乱を起こしたということだ、と昨日いいました。けれども、逵さんや木場さんといった後にlets_think MLに入ってしまうような人々ですら、最初は実務労働者、登記人の味方だったのです。逵さんや木場さんは、実務労働者の人々に直接会いに行き(そのことだけでも立派です。私は会いに行きませんでした)、実務労働者といっしょになって実務の負担が重いなどの窮状を訴えていました。ですから、柄谷さんが介入してくるまでは、別に党派的な憎悪などという話ではなかったのです。
柳原さんや蛭田さんは、逵さん、木場さんが柄谷さんを批判するからおかしいし変なのだという意見でしたが、そういう彼らのほうがわけが分かりません。NAMを作ったのは柄谷さんだから、NAMの人々にとっては柄谷さんが大事でも、そういうことは逵さん、木場さんには無関係だというようなことがどうして理解できないのでしょうか。
lets_think MLを精読、熟読しても、逵さんがいっていることが非常に公平であることが分かります。西部さんがちょっと言い過ぎてしまうようなことがありますと、逵さんがそこまでいうべきではないのではないか、などとたしなめています。現在lets_think MLはインターネットに存在していないようですが、そういうことは素直に読めば誰にでも分かるようなことです。
吉永さんに戻る前にもう一言いうと、柳原さんがあの「Qは二度死ななければならない」を書いてしまったとき、私は既に精神病で(そして、柄谷さんの息子さんから告訴すると脅迫されたために)Qの委員会を離れていましたが、逵さんがQの委員会に書いた応答を私に個人メールで送ってくれました。逵さんの意見は、もう少し公平、客観的なものの見方ができなければ、「次の運動」などといってもまた同じことを繰り返してしまうだけなのではないのか、というようなことでしたが、私は彼のいう通りだと思います。
吉永さんについていえば、最終的に私には彼の考えが理解できません。吉永さんと京都で会いましたが、会って話せば分かり合えるというようなものではないと思います。吉永さんが柄谷さんが正義であると信じていたのであろうというようなところまでは推測できますが、それ以上のことは何も分かりません。彼はQ、そしてそれだけでなく当時のNAMも欺瞞だと考えたのでしょうが、理由がはっきりとは分かりません。
ただ、吉永さんはNAMの評議会で、Qや西部さんは殿様商売だと非難していました。彼が書くことを事実と信じるとすれば、その点については彼のいっていたことは妥当であろうと思います。それはこういうことです。有機農業の有力なグループだったと思いますが、吉永さんは、そういうグループと地域貨幣を結びつけたいと願ったそうです。それで、西部さんに話をしましたが、冷たく断られてしまったということです。本当に西部さんがそういうことをいった(書いた)のかどうか知りませんが、吉永さんによれば、西部さんは、その有機農業団体が地域貨幣を導入したいなら、向こうから自分に会いに来るべきだ、みんなそうしている、とかいったそうです。吉永さんはそのことを一体何様のつもりだといっていましたが、もし吉永さんの報告が事実なのであれば、確かに非難されても仕方がないようなことだと私も思います。
なぜならば当時Qはインターネットで決済できる唯一の地域貨幣でしたが、たとえそうなのだとしても、やはりできたばかりのものでしかなく、その可能性は未知数としかいえません。長年有機農業などをやってきた団体のほうが運動として立派だから、Qのほうが頭を下げて使ってくれないかと頼むのが当然でしょう。もし西部さんが、自分の作った地域貨幣が、その有機農業グループよりもすごいのだと考えていたというのが本当のことならば(本当かどうかは、よく確かめる必要がありますが)、そういうことはいえないというしかないでしょう。
ただ、事実関係の確認は公平である必要があります。2003年に私自身がQを攻撃したとき、吉永さんから渡された資料を使いましたが、森谷さんから事実関係を訂正、補足してもらいたいといわれました。それはこういうことです。その有機農業グループは、Qや地域貨幣よりも現実の商売が大事だし意味があるということを確かにいったのだとしても、同様にNAMに対しても否定的であった、そのことも併記しなければ公平とはいえないというようなことでしたが、その点については私は森谷さんのいう通りだと思います。それから、私にはどうしてなのか理解できませんが、NAM末期に吉永さんが森谷さんを罵倒してしまうというようなこともあったと思います。森谷さんが柄谷さんに従属しなかったからなのでしょうが、しかしそのような理由で他人を罵倒するのは余りに一方的で残酷です。私はそういうものが正義だとは思いません。
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このように十年前の出来事を改めて整理してみますと、当たり前ですが、呆れ返ってしまうというほかないようなことばかりであったのに自分自身がびっくりしてしまいます。当時の私にしてもしょうもない存在だったのでしょうが、けれどもしかし、最近私が思い出してあれこれ書いているようなNAMの人々の惨状は一体何なんでしょうか。そういうことを考えると、苦々しいし憂鬱になります。吉永さん、それに西原さんは、NAMとかQが「おべんちゃら」、偽善、欺瞞、綺麗事だと執拗に罵倒していました。なるほどそうかもしれませんが、はっきりいいますが、本当に(建前でなく)本音、本気で話すならば、現に現在私がそうやっているように、非常に残酷な言葉による殺し合い、殺戮になるよりほかありません。それでいいのだ、というのが彼らの意見なのでしょうか。
吉永さんという人の名誉のために補足しますと(彼の名誉などどうでもいいことですが)、彼はNAM解散後、田中さんだかに相談して、自分で有機農業のグループに入って多分今もやっていると思います。NAM解散後の言動を観察して、NAM会員の90%以上には何の政治的動機もなかったと断言できますから、吉永さんは自分で「倫理的経済」などを実行しようとしただけ立派だともいえるでしょう。そうはいっても、客観的にいって彼がどうしようもない悪であった事実は変わりません。ちなみに倫理的経済などというならば、この私にしても、"Cafe LETS"などをやろうとして失敗したのですから、別に吉永さんだけが実行したとかいう話でもありません。私が有機農業をやる気がないのは、農業を軽蔑しているからではなく、ただ単に向いていないからです。私には一日中インターネットをやっているのが一番お似合いです。
吉永さんや西原さんの意見に補足しますと、「おべんちゃら」を軽蔑し罵倒していた彼らが、もし十年後の現在、私が残酷な真実や事実を執拗にいい続けるのを不愉快に感じるとすれば、それは自己矛盾です。あなたがたは、「おべんちゃら」ではなく真実を話したかったのではないでしょうか。そうだとすれば、それは現在私が実行しています。その私がいうことが、あなたがたに不都合、不利益なのだとしても、残念なことですが、それは自業自得というよりほかありません。