近況アップデート

おはようございます。一般の人々には興味がないでしょうが(興味がない方はフィード購読を解除していただいて構いません)、後藤学さんという人の話をします。あらかじめ断っておけば、私は別に彼に好意的でも悪意的でもありません。正確な事実関係を記すだけです。もし彼が、十年後に私からあれこれいわれるのがいやなら、「不正高額取引」をやらなければよかったと思います。それさえなければ、彼のことなど忘れてしまったでしょう。

さて、後藤さんという人は十年前、京都でDifferenciaという美容室を経営していました。現在もやっているのでしょう。web-siteもあります。"This is Mr. GOTOH!" http://www2.ocn.ne.jp/~diffgoto/

2001年にNAMの事務局の引き継ぎのために、倉数さんその他とともに京都に行きました。杉原さん、西原さん、茨木さんなどとも会いましたが(後に有名な歴史家になった田中希生さんや、ドイツ文学者であり山住勝広さんの大学の同僚だった斉藤渉さんとは会いませんでした)、後藤さんの美容室も訪問しました。別にごく普通のお洒落な美容室ですが、唯一ちょっと変わっているなあ、と感じたのは、書棚に『女性セブン』や『女性自身』ではなく、カントやドゥルーズの本が大量に並んでいたことです。多分、彼の趣味なのでしょう。

京都訪問のときの思い出をいえば、西原さんが意味不明なわけのわからぬメールを事務局に送り付けてくるNAMの人々を非常に馬鹿にして嘲笑するのが不愉快に感じた、ということです。なるほど彼女は実務者でしたから、例えば、理由もなく英語で意味不明のことを書き連ねたメールが事務局に送られてきても困ってしまったでしょう。でも、そういう人々のことがくだらないと思って馬鹿にするのなら、どうして事務局などをやっていたのだろうかと思ってしまいます。まあそういうことも、西原さんの自由といえば自由ですが。

西原さんはそれなりに善人でしたから、柄谷さんに恥を掻かせたくないと思ったのでしょうが、でもそれは彼女の個人的な動機ですから、他人には関係がありません。

後藤さんについて重要なことは、彼がQの委員会に入ったこと、そして実務労働者(LETSの特殊な用語では、「登記人」といいます)になったということです。

2012年の現在からみれば、よく分かりませんが、2001年か2002年のことですけれども、或る善良な夫婦が地域通貨に加入してくれました。でもそのとき、夫が妻の代理で登録したというような些細なことがQの委員会で規約違反とかいって問題視されてしまいました。私にはちょっと理解できない発想ですが、そういうことが自立した個人とか個人の自由に反するというのが理由です。私には意味が分かりませんでした。

そういう些細なことをあげつらうより、もっと大切なことがあったはずですが、その夫婦を誘ったQの委員がQの一般会員のメーリングリストで公式に謝罪させられてしまうということになりました。彼はきっととても恥ずかしかっただろうと思います。

その頃から後藤さんは非常に難解な表現の超長文メールをQの委員会に大量に送付してくるようになりましたが、私には彼が何をいいたいのか、何にこだわっているのか、さっぱり理解できませんでした。後藤さんはそれなりに善良で真面目でしたから、倫理が大切だというようなことがいいたかったのでしょうが、それだけのことならあれだけの凝りに凝った難解な文章を書く必要などなかったはずです。

ドゥルーズなどを読んで意味不明な文章しか書けなくなるような人々は大量にいますから、後藤さんもその一人だったということなのでしょうが、Qの委員会はメーリングリストでやっていましたから、文章でコミュニケーションを取ることができず、「不正高額取引」などの行動(パフォーマンス)でしか自分の考えを表現できないとか、直接顔を合わせて話さなければ何を考えているのか誰にも理解できないとかいうことでは困ります。でも、そういう人々は大量にいたのです。

ちなみに、微分法をろくに知らないとしても、私は自分がそれなりにドゥルーズの専門家であると思いますが、その私からみて、ドゥルーズを読んだから意味不明な日本語しか書けなくなってしまう人々はただ単に誤解しているだけだと思います。それに、別にドゥルーズがいうことが常に全部正しいという話でもありません。

Qの紛争とかいうのも、実務労働者が代表、副代表に反乱を起こしたというだけのことでした。後藤さんはそのときも超長文メールを送りつけてきましたが、私に分かるのは、実務、事務には現実的で具体的な問題があれこれあるからみんなで考えてもらいたい、というだけのことです。それだけのことならば、別に西部さんを憎悪したり、非人間的、非倫理的と誹謗する必要などまるでなかったはずです。

その後藤さんは、言葉で他人とまともに意思疎通できない人でしたので、「我々はあなたのモルモットではない」とかいう非常に失礼なことを西部さんにいって、西部さんを怒らせてしまいました。

西部さんからすれば、自分は労働を強制していないから、もし「モルモット」などと考えてしまうならば、実務労働は他の人に頼むから、Qの委員会をやめてほしい、ということでしたが、彼がそのように考えたのは当然だと思います。

ところが、後藤さんは、Qでは穂積さんというプログラマーが乱暴な発言を繰り返しているけれども、自分もそうやってみて許されるかどうか試してみた、実験してみた、とか言い出しました。私はおかしいと思います。そのプログラマーが横暴だと思うなら、それを他人に理解できる言葉でいえばよかったというだけです。でも、後藤さんはそういうことができる人ではありませんでした。

けれども、後藤さんがやったのはそういうことだけではありません。彼は、柄谷さんの息子さんや福西さんという人々とともに、「不正高額取引」をやりました。でも、Qを知らない一般の人々には何が「不正」なのかよく分からないでしょうから、少々説明を加えます。

Qに限らず、LETSには赤字上限というものがあります。もし地域貨幣を持っていなくても、一定額まで自分で発行して取引することが許されます。Qの場合、西部さんは最初、20000Qくらいが妥当と考えましたが、蛭田さんがそれではろくな経済活動ができないから100000Qにしてくれと抗議したので、そういうことになりました。

それだけではなく、西部さんは、取引額に応じて少しずつ赤字上限が大きくなるようにしたら面白いし、みんなが地域貨幣を使いたがる動機になるのではないか、ということを考えました。穂積さんがそういうことを、実際にPERLで書く、実装するのはとてもしんどかったようですが、穂積さんにはプログラマーとしてとても高い能力があったし、真面目でしたので、西部さんのアイディアを実現してくれました。

そういうことにセキュリティの問題があるかもしれないというようなことは、西部さんにせよ、我々にせよ、予想しました。ですが、多少の不正があってもLETSは崩れないし、大規模な不正はQの委員会が調査したり審査して対応すればいい、と考えました。私は、そのような我々の考え方が特にひどく間違っていたとは思いません。

さて、後藤さん、柄谷さんの息子さん、福西さんがやった「不正」というのは、Qで中身のない架空取引(例えば、「Differencia訪問=100万Q」とかです)を膨大に繰り返したということです。そのことで、彼らの赤字上限は、あっという間に1億Qくらいにまでなってしまいました。

そういうことに、みんなはすっかり呆れました。倉数さんはもともと悪意的で残酷な人ですが、面倒臭いことに関わるのはいやなので、公然と怒るといったことはほとんどありませんでしたが、NAMの3年間で彼が怒るのを3回みたことがあります。その3回目が後藤さんのケースでした。倉数さんは、「じゃあ僕も、Differenciaに行けば1億Q貰えるんですか」と後藤さんに嫌味をいいました。柳原さんは、そこまでいわなくていいじゃないかと倉数さんをたしなめましたが、でも私は、倉数さんがそういうことをいったのも当然だと思います。

そういうことをQの委員会で審査しましたが、中島さんから電話があり、不正行為をやった人々は大変なことをしてしまったと蒼ざめており、深刻に反省しているので、どうか寛大に処置してもらいたいといわれましたが、中島さんの話は嘘だったと思います。私がそういうのには根拠があります。

柳原さんという人はQの法律アドバイザーでしたが、埼玉に住んでいます。彼は、自分の金で、大阪までわざわざ出向きました。彼は真面目でしたから、不正をやった人々と直接会って話して事情を聞く必要があると考えたのです。ですから、大阪で「聴聞会」を開きましたが、不正をやった三人は全員、それをすっぽかしてしまいました。柳原さんは常に前向きでポジティブだといいましたが、さすがにその彼ですら、その瞬間は深く落胆し、人間というものがいやになってしまいました。当時、柳原さんのメールがQの委員会に届きましたが、それを読んで柳原さんが気の毒になりました。柳原さんは善意の人でしたから、たとえ不正を犯すような人々でも、何か事情があったのだろうと思っていました。彼はそこまでして人間を、他人を信頼したかったのですが、不正を犯した人々はその柳原さんの心からの善意をいともたやすく残酷に裏切ってしまいました。私が腹を立てるのはそういうことです。

Qの委員会にも、その福西さんのパートナーのように、その三人はQの欺瞞に実践的に、行動で抗議したのだとかいって擁護する人々が多かったのですが、私はおかしいと思います。Qが欺瞞だと思うのならば、どうしてそれを言葉で表現できないのでしょうか。どうしてくだらない「行動」でしか抗議できないのでしょうか。しかも、そういうことをやっておきながら、自分の家庭生活や職業生活に影響したり、迷惑を蒙るのは困るというのは、ただ単にどうしようもない我儘、自分勝手だと思います。生活に差し障るのがいやなら、そもそも不正行為をしなければよかったというだけです。

それにそういう不正をやった人々は、柄谷さんからいわれたからそうやったのです。柄谷さんの乱暴が困るので、やめてくれないかと頼むために電話したことがありますが、彼は、攝津、知ってるか、Qでは架空取引を繰り返せば赤字上限があっという間に大きくなってしまうんだぞ、などといっていました。知っているも何も、そのQの規約を書いたのは私なのですから、知らないはずがありません。その柄谷さんも、自分自身でそういう不正を実行してしまうほど馬鹿ではありませんでしたが、けれども、自分の息子や後藤さんに命令して実行させてしまいました。そういうことは非常に残念ですし、くだらないことであったと思います。

さて、その柄谷さんの息子さんは、NAMでろくなことをやりませんでしたが、柄谷さんの実の息子であるというただそれだけの理由で、ちやほやされていました。柄谷さんの息子であるからちやほやしてしまうNAMの人々にはすっかり呆れましたが、そういうこともどうしようもなかったと思います。柄谷さんの息子さんは、当時、Qの委員会をやめなければ、民事的に告訴する、といって私を脅迫しました。私だけではなく宮地さんも脅迫したし、後に鈴木健太郎さんも脅迫しました。柄谷さんの息子さんはそうやって、当時、多くの人々を脅迫していたはずです。勿論、そんな脅迫には現実的な意味がなかったので、無視すればよかったのでしょうが、当時の私は、もともとの精神疾患に加え、紛争のために疲れ切っていましたので、本当にQの委員会をやめてしまいました。けれどもその柄谷さんの息子さんと後にお会いしたときに、私が彼に対してひどく怒ったのも、当たり前のことだと思います。彼は、全部父親から命令されてやったことだった、と言い訳しましたので、情けないと呆れましたが。

柄谷さんの息子さんは、目の前の私が真剣に怒るので、きっと怖かったのでしょうが、でもそれは当然です。単にメールなら、他人を脅迫するのも簡単でしょうが、しかし、そのメールを読むのは生身の人間です。柄谷さんの息子さんにはその程度のことさえ分かりませんでしたから、瑣末なことであらゆる他人を脅迫しても平気だったのです。彼は、自分が脅した相手が自分に会いにきて叱る、というようなことを考えませんでした。