近況アップデート

このように詳しく調べてみて、「こういう人間には普通、"その後の人生"というものがない」とかいうのは少し残酷なように感じます。なるほど木川田くんの高校生活は悲惨というほかなかったかもしれません。でも別に彼のせいではないはずです。木川田くん個人が悪いというような話でもありません。先輩に恋心を抱いても相手が異性愛者だからプラトニックである、だから実際の性は二丁目に行って他の同性愛者とセックスをする、しかしそういう人々のことを穢らわしいと感じてしまう、そういう心理はありふれているし誰にでもあるのではないでしょうか。ごく普通だと思います。むしろそのような木川田くんにその後の人生がないとか未来がないという橋本治のほうが残酷です。推測するしかありませんが、1970年代の日本には「ブルーベリー邪夢」のような中学生や木川田くんのような高校生が沢山いたのかもしれません。そのような同性愛の若い人と接して橋本治自身は、その後の人生や未来がないのだと判断したということでしょう。けれども私はそういう問題ではないような気がします。南条あやのように死んでしまったならば、なるほど死んだ人が蘇ることはありませんから、確かにその後の人生というものはないということになってしまうでしょう。けれどもただ単に生き延びたならば、過去にどれほど悲惨な思いをしてきたのだとしても、その後の人生や未来はどんな人にでもあるのではないでしょうか。

桃尻娘』連作は1970年代末から1980年代の日本が舞台です。主要な登場人物が高校生の頃から20歳になるまでの物語です。久しぶりに読み返してみて(といっても、『桃尻娘』と『雨の温州蜜柑姫』しか今手元にありませんので、この2冊を読んだだけですが)改めて痛感したのは「過去的」ということです。現在は2012年ですから、当然、1970年代や1980年代は過去です。それだけではなく、このシリーズに書かれているようなこと自体が37歳の私にとって端的に過去であり、疎遠なものです。未来があろうとなかろうと、私は木川田くんのように考えることはどうしてもできません。