近況アップデート

杉田君、大澤君は『重力』の同人でした。けれども『重力03』について、Q-NAM問題の総括を主題にしたい鎌田さんと、労働問題(プレカリアート問題)を主題にしたい杉田君、大澤君が対立し、杉田君と大澤君はやめてしまいました。現在の彼らの遺恨はそのような約十年前の出来事に起源があります。でもそういうことに私は関係がありません。私は『重力』の同人になったこともないし、そのようにならせて欲しいと鎌田さんに頼んだ覚えもありません。私は無理やり『重力』に協力させられたというだけなのです。

『重力』に無理に協力させられたというのは、そもそも鎌田さんからのメールは、私に寄稿をお願いするとか依頼するとかいう話ではなく、「寄稿要求」とかいう高飛車なものだったからです。鎌田さんは一方で、私を人間の屑だとか、攝津と関わらないのは私(=鎌田さん)の人権だなどと言いながら、他方で、私が『重力』に協力して寄稿するのは私の倫理的な義務だといって私を道徳的に恫喝してきたのです。当時、私は相当悩みました。

Qの代表をしていた(けれども鎌田さんの毒舌がいやでやめてしまった)逵さんという人に相談してみました。彼は、そんな無茶な要求に応じる必要はないという意見でした。人間の屑、上等じゃないですか、と逵さんは言いました。けれども私は考えた挙句、鎌田さんの「寄稿要求」に応じることにしたということです。

けれどもいろいろな経緯の結果、うまくいかなかったということです。鎌田さんらとの関わりが非常に大変だったということは、今朝書いた通りです。私はただ我慢していたのです。それでもう耐えられなくなったので、鎌田さんと絶縁をしたというだけのことです。「ズブズブの関係」などとは程遠いのです。

前も言いましたが、私は文章を書き直す習慣が普段はありません。けれども『Q-NAM問題』を何度も何度も書き直したのは、鎌田さんや西部さんの意見を汲んだからです。その結果、最終的には私自身の意見とは程遠いものになってしまいました。けれども鎌田さんは、俺の言うことに従うな、とか命令してきました。結果、私はどうしていいかさっぱり分からなくなったのです。

鎌田さんや西部さんに従ったのは、はっきりいってQに迷惑を掛けたという意識があったからです。彼ら個人がどうこうということではありません。

けれども、Qに迷惑を掛けたから申し訳ないということと、鎌田さんや西部さんの意見が全部妥当なのかということは実は関係がありません。

西部さんの昔からの持論である日本人は豊かだということへの疑問は散々書いた通りです。

2000年にそういうことを言っていても別にいいと思います。でも現在も同じ意見というのはどうでしょうか。彼にとっては、就職氷河期とかデフレ不況、リーマン・ショック等は考慮の必要がないものなのだろうか。経済学者なんだけどね、西部さんって。

鎌田さんにしても「岡山人民映画会」で、貧困といっても今日食う飯ならあるのだろう、などと言い放っているのですが、私の意見では貧困とか貧乏とか貧窮というのはただそれだけの問題ではありません。鎌田さんのそういう考えに同調したり賛同することはできません。できるはずがないのです。

Qへの罪悪感や責任を感じることと、彼らのそういう言説を認めないということにはなんの関係もありません。

一般に貧困問題や生存問題に理解がない、ということだけではなく、Q-NAMの一連のもろもろについても私には受け入れられない考えがたくさんあります。前も言いましたが、最初にQの専従になった人は勝手に会社をやめたのだから、後に困窮したとしても自分達の知ったことではない、かえって迷惑千番だったのだ、だから攝津さんが彼に同情するのは間違いである、とかいう西部さんは、本当に人としてどうかというか、血が通っているのかとか言いたくなります。

これも繰り返しですが、西部さんのNAMへの態度が実に自分勝手だったということも指摘すべきです。彼は、自分達は苦労してきたのにNAM会員が協力してくれなかった、などと不平不満や怨恨感情ばかり言い続けていました。ところが、NAMの人がボランティアでたくさん入ってくると、迷惑なのでやめてほしいとか言い出したのです。こういうのは勝手な理屈ではないのでしょうか。別に柄谷さんが言ったように、西部忠は心優しいNAMの人を利用して実験動物(モルモット)にしてしまい、Qの実験をやった、などと悪意的な解釈はしません。けれども私が上に書いたようなことは単なる我儘とは違うのでしょうか。LETSがNAMの重要なコンセプトだから、NAM事務局がQを経済的に援助したり、NAMの人がQプロジェクトに協力して実働するのは当然だとでも思っていたとしたら、それは余りに勝手で傲慢です。

それから、どれだけややこしい(しかしナンセンスな)議論が多くあったとしても、それでもQがNAMのプロジェクトであったという事実に変わりはありません。それほどNAMがいやなら、或いはNAMが左翼だからNAMと関わっていると会員が集まらないなどと考えるのなら、そもそも最初からNAMでプロジェクトを立ち上げるべきではありませんでした。西部さんの北海道大学の研究室ででもやるべきようなことでしかありません。私は別に西部さんに悪意はありません。しかし、客観的にいって西部さんがNAMを利用しただけなのではないかというふうには、どうしても考えてしまいます。結果、関係した人がそれこそ迷惑しました。我々は経済学や地域通貨その他の専門家でもなんでもないのです。大学の研究室の人でもないし、企業の商品開発室の人でもありません。ただの素人です。Qプロジェクトはただの素人をとんでもなく酷使したというだけのものだったのです。

柄谷さんはQは欠陥商品だとかいいます。そういう彼に理解できなかったのは、そのQはとりたてて専門家でもないNAMの人々が作り上げたものだという自明の事実です。もし規約や制度設計にセキュリティ的な穴があったとしても、それはもうどうしようもないし、そのことを認識していなかった、分かっていなかったのは柄谷さん一人だし、ましてやその穴を突いて「不正高額取引」などバカなことをやってしまったのは柄谷さんの息子ただ一人だとか言いたくなります。

柄谷さんは、例えば、アパートの部屋を借りているとします。ところが、別にもっと家賃が安く条件も良いような物件があるなら、引っ越しを躊躇すべきではない、大家がNAM会員であるかどうかとかは関係ない、とか言い出したわけですが、その彼が遂に気付かなかったのは、彼が自分の考えた「もっと安く条件も良いような物件」(=市民通貨L)など現実には存在しないし、これから存在する見込みもまったくないものだということです。どんな人であれ、妄想のなかにしかないような部屋に引っ越していくなどということはできません。幾ら家賃が安かろうと、条件が良かろうと、現実にはないのだから、そんなことはまるで関係がないのです。そんな当たり前のことが彼には分からなかったのです。

こういうことを言い出すととめどもないし、ただ単に腹が立つので、今日はもう床に就くことにします。皆様、お休みなさい。良い夢を。ただ、昨晩、変なことがありました。寝たのは気付いたら午前4時になっていました。しかも長い時間寝つけませんでした。そうしますと、意味が不明なよく分からない気持ちの悪い悪夢(筋も何もわけがわからないような)にうなされ続け、健やかに眠れた実感もなく、ただ意味不明に疲弊してしまいました。とにかくおかしな夢でした。眠りも浅かった。一つ明瞭に覚えているのは、カウンセラーが私にメールを3通送ってきて、そのうちの1通は、身体のつらさを楽にする方法を書いたものだった、ということです。夢は奇妙なものです。夢にはほとんど雰囲気以外存在していません。非現実の雰囲気が全てです。夢というのはそこに迷い込んでしまう、というようなものなのです。出られるかどうかは誰にも分かりません。