思い出すことなど

おはようございます。

目覚めて、しばらく、早稲田大学の文学研究会で出会ったMさんのことを思い出していました。

彼は現代音楽の作曲家でした。国内だか国外だか忘れましたが、音楽の専門的な機関で学び、作品の評価も高かったと聞いています。私は彼の作曲を聴く機会はありませんでしたが。

そのような人がどうして、音楽の勉強をやめてしまい、早稲田などに入ってきたのでしょうか。

それは思想を学ぶためでした。彼は、一旦極右になってからそれから極左になりたい、というようなことを熱心に語っていました。

彼が音楽家として優秀だとか、知的に優れているとか、政治的、倫理的に誠実、真面目、ラディカルであるとか、そういうことを疑ったことは私は、20歳の当時から37歳の現在まで一度もありません。しかし、約20年の間、Mさんがいっていたことが正しいと考えたこともありません。

彼が気付いていたかどうかわかりませんが、極右になってから極左になりたいなどは、実はありふれた考えです。高橋悠治を考えてみてもいいでしょう。高橋悠治は別に極右になったわけではありませんが、しかし、西洋を否定してコンピューターやピアノを捨ててしまうというところまでいったわけです。

Mさんはすぐに文学研究会をやめてしまいました。その後二度と会っていません。彼のようなラディカルな思想の持ち主には、我々(文学研究会)は「ふうたらぬるい」微温的なものでしかなかったでしょう。それは致し方のないことだったと思います。

文学研究会とかいっても、所詮大学生の趣味のサークルです。真面目に思想を学んでいる人も少数、いましたが(例えばハイデガーの『存在と時間』を熱心に研究している先輩がいました)、一般には「知的な遊び」の域をこえるものではなかった。そういうところにやってきて、「自分は極右になってから極左になりたい」、などと言われても単に困るのです。

それでも私は、Mさんと会うことがなくなってからもずっと、不在の彼との「対話」をやめたことがありません。例えば、きっとMさんならNAMのようなものを否定するだろう、などと考えながらNAMをやっていたのです。

私は、音楽家としてはもちろん、知的、思想的にも、また政治的にも、Mさんには自分はかなわないと感じていたのです。20歳当時もそうだし、現在もそうです。自分には本格的なものはなにもないと思っていました。けれども、Mさんが語っていた考えが到底まともなものではない、自分としては承服できない、という信念もまた、20歳の頃から変わらないのです。不在の彼と「対話」を続けているといいました。確かに対話していますが、何度対話しても、Mさんの意見は知的、思想的にも政治的にも認められない、妥当ではないという私の考えは変わりません。

大学では無数の学生と出会ったのに、どうして特にMさんのことが気になるのか、自問してみました。それは彼が音楽家だったからだと思います。私自身は音楽大学で学びたい希望がありましたが、それがかなわず、早稲田大学に進みました。だから、音楽に関して本格的、専門的なものがあるMさんが、それを放棄して、私からみればそう意味があるとは思えない政治思想をやるために早稲田に入ったというのは、実に勿体無いと感じていました。

文学研究会のことを少し話せば、そのサークルの人の大多数は出版社の編集者になりました。日本文学の研究者になった人が二人、ダンスの研究者になった人が一人います。けれども物書き(作家、批評家、思想家、研究者)は輩出しませんでした。白井君や浜野君を文学研究会であったなどとはいえないでしょう。

白井君や浜野君がカントの『純粋理性批判』の読書会をしたいというので当時参加しました。もちろんドイツ語で読んだわけではありません。ただ、文学研究会には真面目にカントやヘーゲルを読んでみようという人はほとんどいなかったので、彼らは真面目であるとは当時から考えていました。ただ、まさか専門研究者、それも著名な研究者になるなどと予想していたわけではありません。そのようなことは当時は分からなかったのです。それは國分さんについても同じです。私は彼がドゥルーズを読んでいるというのを当時は知りませんでした。

文学研究会は定期的に会誌を発行していましたが、私自身が執筆しそこに掲載されたつまらない小説を含めて、大半はクズであったと思います。ただ、現在は文学館に勤務しているOさんという人の小説だけは例外でした。捨ててしまったので手元に会誌はまったくありませんが、Oさんの書いたものが優れている、という大学時代の自分の直感に間違いはないと思っています。

くだらない思い出話ですが、私が入った頃文学研究会の幹事長をやっていたTさんという日本文学の人がいました。彼は日本文学の研究者になり(何が専門なのかは知りませんが)、牧野信一に関連するイヴェントなどをやるようになりました。当時彼から言われたことでよく覚えていることがあります。彼は私に、フーコーの『知への意志』を読んで理解しただろう。ならば、同性愛のカミングアウトなどはするな、と言ったのです。もちろんフランス思想に関しては、Tさんに比べれば私のほうが専門的です。そのように言われて私は、こいつはバカかと思いました。けれども、大学の先輩に面と向かってバカと罵るほど無礼な人間ではなかったので単に黙っていました。