近況アップデート

吉本隆明は現在、芸術言語論とかいっていますが、それはかつての『言語美』と全く変わらないのです。前もいいましたが、彼の関心は、文学の言語というのをどう理解すればいいのか、ということだけしかないので(つきつめれば、ということですよ)そういうことになってしまいます。彼には本当は、ソシュールもなにも関係がないのです。一般的な、科学としての言語学がどうであるかとかいうことに実は何も興味関心がない。彼は言語の一般理論を作ろうとしなかったし、そのような気もなかったはずです。『言語にとって美とはなにか』という表題自身がよく考えればおかしいのです。もし言語学を考えるというならば、「美」は問題にならないでしょう。逆に文学、美学、芸術学でやりたいんだということなら、言語学を参照する必要はなかったでしょう。だから、あれこれややこしい行き違いに満ちていたのだと思います。

Facebookも疲れるというか、友達になってくださいといわれるから、リクエストを承認する。だけれども、私の話がいやなので、すぐに友達を解消されてしまう。そのようなことが漠然と寂しいと感じます。しかし、致し方がないでしょう。私は自分の話が一般的だとか、面白いというふうには思いません。

『言語美』にしても、一方で言語学を検討する。他方、ハイデガーの言語論などを参照する、といった具合ですから、そういった話がうまく纏まるというはずもないのです。

ところで、20世紀の哲学は言語を主題に考えた、といいました。しかし、例えば、フランスとアングロサクソンでは全く違います。先にフランス人のことをいえば、彼らの言語論は秘教的で神秘主義的です。ソシュールがどうのとかいいますが、実は、彼らの主要な参照はブランショであったりします。フーコーにとってもドゥルーズにとっても、フランス語の不定代名詞 onで表現される、「人」「不定の誰か」が語る、というようなことが重要でした。重要なのは「私 Je」が語るのではないということです。「人 on」というような発想は、キェルケゴールからハイデガーが受け継いだ、「世人 das Man(私はドイツ語を知らないので、綴りが間違っているかもしれません)」に起源がありますが、キェルケゴールハイデガーにとってはそのような匿名的な人のどうでもいいお喋りは頽落であり、廃棄されるべきものでしたが、フランス人にとっては、誰かが話す、不定の誰か(決して「私」ではあり得ない)が話すということは、称賛すべき素晴らしい事態であったのです。ドゥルーズはほとんどそのようなことしか言っていません。しかし、そのような(当時の)現代文学フーコーブランショバタイユクロソウスキーを論じた『外の思考』を書いています。また、『レーモン・ルーセル』も見落とされがちですが、非常に重要です)にインスパイアされた「言語」という境位(エレメント)への定位は、最終的には、合理的には意味が不明な神秘主義なのではないでしょうか。

アングロサクソン言語哲学といってもあれこれありますが、簡単に(乱暴に)一言でいってしまえば、「言語ゲーム」(後期ウィトゲンシュタイン、『哲学探究』)ということです。アングロサクソンの哲学が、いわゆる狭い意味での分析哲学から、日常言語学派のようなものに変貌していったのはどういうことでしょうか。例えばウィトゲンシュタインでも『論考』であれば、日常的な言語は問題外でした。初期の彼にとって、自然言語ではなく、論理学、それも記号論理学のロジックが全てであり、それによって語れることを語り尽くすならば哲学の問題は全て解消される、哲学は終わる、という考えでした。だから、『論考』によって哲学は終わったと考え、建築家になりました。どういう経緯でウィトゲンシュタインがまた哲学をやってみようと思うようになったのか、詳しいことは知りません。しかし、彼の関心は記号論理から、実際に話される言葉へと移っていました。勿論、私は単純化しています。アングロサクソンの哲学者といっても多様な傾向があります。後期ウィトゲンシュタインや日常言語学派(オースティンやサール)だけではなく、クワイン、パトナム、デイヴィッドソン、ローティなどがいます。ただ私が強調したいのは、アングロサクソンの人々の言語への関心が、フランス人と違い、文学的なものでも神秘主義的なものでも全くなかった、具体的なものだった、ということです。

ドイツ人といえば、当然ハイデガーを挙げる必要がありますが、自分のような平凡な人間にどうしても分からないのは、なんでヘルダーリンがそれほど特権的に重要なのだろうか、ということです。私には本当に分からない、理解できません。ハイデガーの思考の枠組みであれば、存在の意味を告げ知らせてくれる(贈与してくれる)のが詩人の言葉なのだということですが、私にはそのような考えは受け入れられません。ハイデガーに比べれば、まだしもフランス人のほうが世俗的です。なぜなら「誰か(on)が話す」というのは匿名のざわめきであり、別に特権的な詩人の語りというわけでは全くないからです。私はハイデガーのようなドイツの哲学を支持したり、好きになることはできません。

少し飛躍しますが、ヘルダーリンからニーチェに至る分裂(病)者のありようを、『アンチ・オイディプス』は「自然人」から「歴史人」へ、というふうに語っていました。つまり、自己自身の身体において生命過程を享受するような人から、「歴史上の全ての名前は私である」とか言うような人への変貌というようなことです。

ふと思い出したのですが、デリダ=サール論争というのがありました。言語に関する意見の違いから論争になったのですが、私はデリディアンではないので、よくフォローしていませんが、要するにジョン・サールが言いたいのは、デリダは不真面目だ(それに対し、私=サールは真面目なのだ)ということに尽きると思いました。しかし、そういう問題ではなかったように思います。

ただ、オースティンやサールは、とにかく読めるけれども、デリダの多くのテキストは(少なくとも私には)読めない、という問題があります。特に"Glas"のようなものを、一体どうやって読めというのでしょうか。端的に困ってしまいます。

そうはいっても、デリダの議論で重要なものももちろん多々あると思います。例えば、エドガー・アラン・ポーの『盗まれた手紙』を取り上げたジャック・ラカンセミネール(その記録が『エクリ』冒頭に入っています)を批判、というか彼の表現では「脱構築」しようとした『真実の配達人』などです。そこでは、手紙は必ず宛先に届くのか、誤配の可能性はないのか、というようなことが問われています。そこから、東浩樹の非常に優れた本(彼が現代思想をやめてしまったのはとても残念です)『存在論的、郵便的』も出てきます。また、ジジェクの全て、とはいいませんが、かなりの部分はデリダ的な読みへの反駁でしょう。つまり、ラカン派であるジジェクにとっては、あらゆる手紙は必ず宛先に届くのだ、という理屈です。

少し脱線しますが、そもそもラカン自体が「読める」ものではありません。『エクリ』の邦訳の日本語は読解不能と一般にいわれますし、私もそう思います。しかし、そのフランス語原文自体、フランス人がフランス語で読んで「フランス語で書いてくれないか」と言いたくなるようなものなのです。ラカンは語るとき(セミネール)と書くとき(エクリ)で全く違います。彼は書くときには、非常に凝縮された、意図的に多義的な表現を用い、そして文体は箴言風です。(それはどこかソクラテス以前の哲学者の断片を想起させます。)文体はドゥルーズの正反対と思えば間違いないでしょう。しかし、『エクリ』は読めないが『セミネール』なら読めるのかというと、そういうことでもない、というのがラカン思想の問題性です。ジジェクの話では、彼はラカンのテキストを読むだけではどうしても理解できなかった、だからラカンの娘婿のジャック=アラン・ミレールにあれこれ解説してもらい助けてもらってようやく理解できるようになった、ゆえに自分のラカン理解、ラカン解釈は全面的にミレールに従っている、とのことですが、テキストを読むだけではどうしても合理的に理解することが誰にもできず、その思想家の娘婿が一々解説しなければ分からないような思想は、ごく普通の日本語表現でいうならば、それは「秘教的」であるというのです。そのような思想を信用すべきなのか疑問に思います。

ジジェクにせよすが秀実にせよ、ラカン理論を使いまくっている人々が一部にいますが、彼ら自身は秘教的ではないとしても、彼らの理論的なベースであるラカンそのものが一般に合理的に読解不能なのだとしたら、それを使っている彼ら自身の言説もやはり根拠がないのではないか、と思ってしまいます。ただ、ジジェクについていえば、彼は哲学史に関しては本格的な理解があると思います。というか、彼の母国、スロヴェニアに西洋哲学の古典、ドイツ観念論が翻訳されたのはごく最近のことで、それを全部ラカン派がやったのです。だから当然のことながら、スロヴェニアでは哲学思想はラカン派が主流です。

すが秀実にせよ、花田清輝論など初期はラカンなど使っていなかったはずです。それで立派に通用していた。なのに或る時期から、ラカン、正確にいえばジジェク経由のラカンを導入してしまい、なんでもかんでも「対象a」だとかいって片付けるようになってしまいました。

それともうひとついえば、ジジェクであれバディウであれ、ラカンを参照する人は主に哲学者です(すがさんは文学者だけれども)。だから以前申し上げたように、ラカン以降精神分析は(治療実践というよりも)「思想」になったということですが、果たしてそれでいいのかは私には疑問です。もう患者を治すつもりがまるでないなら、ただ単に、哲学・思想として純粋に勝負すればいいじゃないか、としか思いません。

ただ、もし私の記憶が間違っていなければ、初期のラカンなら「パロール」、つまり語られる言葉、話される言葉を重視していたと思います。確か、充ちたパロールと、空虚なパロール、というような言い方をしていたはずです。しかし、想像界を重視していた初期から象徴界を重視する中期に移行し、パロールからランガージュ(言語活動)を重視するようになりました。ラカンの場合、言語を重視するといっても、その重視の仕方が時期によって様々に異なるので注意が必要です。確かに一般的なラカンの理屈というのは、象徴的な去勢によって象徴秩序に参入する、それに躓けば精神病者か倒錯者になる、というようなものなのですが、彼の言語論というのはそれだけではなく、複雑で繊細微妙な分析もあります。私がよく覚えている(というのは、詳しく検討したからですが)のは、『精神病』というセミネールにおける精神病者の短い会話の分析です。それは内容がある、というか、読む価値があると思いました。

本当に雑談モードなので興味がない人には退屈であろうと推測します。どうもすみません。話を続けますと、日本のラカン派の人が『ラカンラカン』というような本を書いていますが、そういう表現をしたくなるくらい、時期によってラカンの言うことは違うのです。よく言われるのは、一般に理解されているラカン象徴界を重視するラカンだが、晩年の現実界を重視するようになったラカンは、かつての自分(象徴界重視)と闘っている、というようなことです。ただ、現実界 le reelなるものがなにかは、よく分かりません。ラカン自身は「不可能なもの」と定義していたと思いますが、我々が一般にイメージする「現実」などでないことだけは確かです。というか、我々が安心してそこに生きることができるような「現実」世界などは、象徴界想像界に媒介されたものでしかあり得ません。しかし、そうであれば、ラカンによれば不可能と定義される現実界を重視するとか、現実界との出会いなどを語るというのは、どういうことなのか、という疑問が出てきます。

ラカンの専門家でないので、私の意見は間違っているかもしれませんが、現実界と出会ってしまうというようなことについて、ふたつ考えられると思います。ひとつは精神病です。もうひとつは神秘主義です。確か公刊されるセミネールの最後のものだと思いますが、第20巻『アンコール』というものがあります。未訳です。私はそれに非常に興味があり、学生時代から何度も挑戦しましたが、うまく読むことはできませんでした。『アンコール』の主題はなにかというと、女性の性欲ということです。フロイト精神分析では、女性の性欲という謎を解くことができなかったのだ、というようなことをラカンは主張します。そして、彼が分析するのは、どういうわけか、女性の神秘家達(いずれも有名な人達です、名前は忘れましたが)なのです。どうして女性の性欲、という極めて具体的な問題を考えるはずが、神秘家の話になるのか、正直よく分かりません。ただ、私が『アンコール』を読みたい、読もう、と思ったのは、そこでは「愛」が思考されているのだということだったからです。しかし、あれこれ努力しましたが、結局ラカンが「愛」をどのように捉えているのか理解することはかないませんでした。

「愛」といえば、ジャック・デリダに『ラカンの愛に叶わんとして』という題名の非常に感動的な論考がありました。私は『現代思想』だったか『イマーゴ』だったかどちらかで読んだ記憶があります。

ふと思い出したのですが、デリダの奥さんは精神分析家でした。そういうこともあって、一時、デリダ派の、というか、デリダの考えに添う精神分析実践というのはあるのか、というようなことが議論されたことがあるように記憶しています。ただ、特に結論はなかったというか、私の知る限り、自分は「デリダ派の」精神分析家です、といって治療をしている人は一人もいません。現実には「スキゾ分析」などをやっている(標榜している)分析家が一人もいない、というのと同じです。

ちなみに初期の浅田彰がやった唯一素晴らしいことというのは、アルチュセールと対比しながらラカンを明晰に解説してみせたことです。今でもその価値は色褪せてはいないと思います。確か、最終審級の鐘が鳴るかどうか、というような議論であったと記憶しています。その浅田彰の要約的な論文では、メルロ=ポンティに対して非常に辛口です。しかし、そのことは割り引いて読む必要があるでしょう(現在では)。メルロ=ポンティナルシシズム的だとか、調和的に過ぎるなどといって簡単に否定できるとは私は思いません。ラカン自身、若干の批判を込めながら、サルトルメルロ=ポンティの哲学的著作を重視し、頻繁にセミネールで取り上げていました。

浅田彰の論文は『現代思想』の総特集=ラカンに掲載され、もしかしたら彼の『構造と力』に入っているのかもしれませんが、私はその単行本を持っていません。浅田の論文にはいろいろ疑問や問題もあると思います。ひとつは要求がシビアだということです。メルロ=ポンティでは駄目、アルチュセールも不十分、最低限ラカンのラインでものを考えなければならない、或いはラカン以降(ということはつまり、ドゥルーズ=ガタリということです)、というような強迫観念を植え付けるような書き方であったというのが問題だと思います。例えば浅田は、メルロ=ポンティを非常に馬鹿にします。両方の掌を合わせてみるとします。そうすると、手と手は、お互いに、触れるものでもあれば触れられるものでもある。メルロ=ポンティが『見えるものと見えないもの』でいっているキアスム(交差配列)などは所詮その程度のくだらないものでしかないのだ、というのが、若き浅田彰の意見ですが、私はさすがにそれは、論敵を矮小化し過ぎであろうと思います。