大晦日、二和向台の朝

このダイアリーをお読みいただいている皆様(とても感謝しています)、おはようございます。今日も寒い朝ですね。風邪などお召しになりませんように。私は、頭痛がするので、寝る前に風邪薬を飲んで寝ました。今は良い気分です。すっきりしたというか、爽やかというか、心地良いというか…。両親はまだぐっすり眠っているので、自分だけ血圧を測定して1Fに降りてきました。
昨晩帰宅してから、深夜アップした文章を書き上げるのに、2時間掛かりました。1時間で書けると踏んでいたのですが、予想以上に難航しましたね。しかも、文章としての出来は良くない。私は書くのは好きですが、音楽と同じで、下手の横好きですね。毎日書くし、演奏するけれども、まるで大したことはないという…。
昨日のジャムセッション、それなりに面白かったですね。私はピアノを主に見ているわけですが、アラスカから来たという女性も、高校教師だという男性も、小学校低学年の男子も、みんな上手でした。自分より上手い人、優れた人がいる、というのは当たり前だと思うんです。他人に嫉妬したり、他人を羨望してもしょうがない。それはスガダイローさんや吉田隆一さんのようなプロのミュージシャンに対しても同じです。彼らがプロでやれているのは、才能とか努力とか、私にはまるでないもろもろの要素があってのことだから、嫉妬、羨望するのではなく、単にリスペクトすべきなのだと思います。特にスガダイローさんとは年齢が同じなのですが、北野武の"Takeshis"(タケシーズ)という映画を観たときのことを思い出しますね。あれは分身の話というか、芸能界で成功してウハウハな生活を送っている武と、まるで売れない芸人でコンビニバイトをしているもう一人の武がいて、その二つが交錯して滅茶苦茶な状況になるわけです。人生、そんなものだと思うんです。私は大学時代の終わり頃、よく「分身」について考えていた、というか、空想していましたね。つまり、世界の何処か(それはこの世界かもしれないし、或いは何処か別の世界かもしれない)に別の自分がいて、その別の自分は幸せに暮らしている…そういうことを想像しては自らを慰めていましたね。私が何も成し遂げず終わるとしてもそれはそれでいいのだ、「別の誰か」が成功するのだから…。「この私」が成功するかどうかはまるで問題ではない。大事なのは「誰か或る人」がうまくいくことなのだ、というふうに考えていました。21-22歳の頃のその基本的なヴィジョンは今でも全く変わっていないですね。自分自身は「外れ籤」というか、「爆発し損ねたダイナマイト」だけれども、自分の失敗や挫折など何ほどのことでもない、別の誰かがうまくいけばそれでいいのだ、そう思います。
長くなりました。今も昨日同様、Billie Holidayの10 CD-SETのDisc 3を聴いています。本当に心に沁みる良い音楽です…。では皆様、良いお年を! 来年こそは、世界みんなが幸せになれますように!