言葉は無限に溢れ出て〜変わらない、ということ

今年36歳で来年37歳になる。それで強く思う(感じる)のは、自分が今後も全く変わらないだろうということ、その絶対的な不変性である。
2011年には、3.11=東日本大震災があり、福島第一原発の事故=放射能漏れがあった。が、私は以前の私のままだった。私的な話でいえば、18年振りに恋人(同性)ができて、恋愛や性行為をすれば自分はどこか変わるのではないかとも思ったが、相変わらずである。私は変わらないし、変わろうという積極的で前向きな気持ちもない。
芸音音楽アカデミーという商売も沈滞しているが、自分はこれを続けていくのだろうと思う。それ以外、生活の道を知らない。これが行き詰まったら、そのときはそのときだ(開き直り)。
ジャズを聴き続け、ヘンなピアノを弾き、インターネット三昧(はてなダイアリーTwitter、各種SNSYouTubeUstream…)。本は図書館。
10年後も20年後も(もし生きていれば、だが)全く同じ生活をしていると思う。私は生活上の変化を極端に嫌う保守主義者である。政治的「意見」は左派に近いかもしれないが、意見はあくまで意見であり、行動ではない。私は何も行動しないと思う。遂に反原発脱原発)デモにも行かなかったし。私は消極的でありひきこもりであり、他者との接触や外界に出ることを嫌がる性格なので、都内に出掛けて人と交流するとか永久に無理である。だから、二和向台の奇人変人、地域の不審者、狂人、廃人、変質者etc.として余生を過ごすしかない。そう思っている。それでいいのだ(断言)。