2011年11月16日水曜日午前9時の診察のために用意したメモ・その2

たまにweblogを覗いて見て欲しい。
(このブログのURL)

映画の人が僕にロングインタビューして翌日に調子崩した。
talking cureというように語ることは治療的でもあり得るが、危険でもあると思う。
映画の人は映画撮影を精神分析に喩えていたが彼は分析家でもなんでもない素人。
無意識を弄られることに危うさを感じる。
映画の人が解釈投与して僕が激烈なacting outしたらどうするのか?
映画の人に金銭(報酬)支払ってない代わりに「素人の精神分析」。

僕は語り、書くことが好きである。
だから毎日書いている。大したものじゃないが「書くことが生きること」である。
それと音楽。聴くこと、弾くこと。
非生産的な(というのはカネにならないという意味だが)日々だが満足している。

どうすればカネが儲かるのかは分からない。
これまで僕が考えたアイデアは全部惨めに失敗してきた。
ばけものや(古本屋)、Cafe LETS、攝津正塾…。
他方両親がやってきた、居酒屋フルールや芸音音楽アカデミーは収入になってきた。
やはり僕は世間知らずで現実的なビジネスをやれない人間だと思う。