駄目人間の救済機関といえば、そうだ「だめ連」「あかね」があったじゃないか!

昨日のFacebookの連続ツイートで、駄目人間の救済機関などどこを探してもあるはずがない、と言ったが、よく考えたら1990年代からだめ連やあかねがあったじゃないか。
ただ、「救済」機関というと違うかもしれない。最初だめ連を呼び掛けたのは、神長恒一ペペ長谷川だったが、駄目人間集まれ!というと本当に「駄目」な人が膨大に集まってしまい、電話相談もパンク状態で、神長さんが困っていた、という話をあかねで誰かから(究極さんだったかな)聞いた記憶がある。
つまり、「だめ」というコンセプトで集まろうといっても難しいのだ。百人いれば百通りの「だめ」がある。千差万別である。そして、「どうにもならない」ケースだって現実にはある。僕はあかねにいた頃、たくさんの苦しんでいる人、困っている人を見てきた。自分より遥かにキビシいと思えるケースもあった。勿論僕には何もできなかった。
先程不意に、思い出したのだが、エビスさんという渾名で呼ばれていた常連さんがいたのだが、彼が癌になって入院した。そして究極さん達がお見舞いに行ったのだが、僕が「どうでしたか?」と訊いたら、究極さんは「彼は『生きたい』と言っていたよ」と応えた。しばらくしてエビスさんは亡くなった。
なんでこのエピソードを思い出したのか分からない。人は本当に死に直面すると「生きたい」と思うものかもしれない、ということを常々考えているからかもしれない。