音楽観の違い

私がpiano soloをしていると、母親が左手をコード弾きにすべきだと助言してきた。そうしないと、ベーシストが入って来られないというのである。私は、それはその通りだし、自分でも分かっているが、改めるつもりは全くないと返答した。つまり私の音楽にはcodeもmodeも一切無いのである。制約がない。freeである。そのことを説明したが、理解してもらえなかった。
世の中の9割9分の人には私の音楽──いや、音楽じゃない、musicじゃなくnoiseだ──は不快であろう。また私は、このような自分の演奏が商売になるとか売れるとか、それで生活ができるということも一切考えていない。ただ、自分自身はこういう音楽(或いは雑音)、こういう演奏が好きだし、自分のスタイルを変えられないし変えようもないし変える気もないので、自分のままを貫くと言った。
別に大衆に迎合しないとかそんな大層なことを考えているわけではない。私だってbe-bopが弾けるなら弾いてみたいとも思う。だができない。自分ができるのは自分が考案した演奏方法だけなのである。それを家族にすら理解されぬことを、一方ではそれも理の当然だと思いつつ、他方ではやはり寂しかった。