小林秀雄『Xへの手紙』

或る苦労人に言わせると、「光陰矢の如し」という諺が、凡そ人間の発明した諺のうちで、一番いい出来だそうである。成る程何はともあれこの諺は極めて悲劇的である。悲劇的なものは、何はともあれ教訓的なのだろうと俺は思う。この諺は俺にはまだ少々見事すぎる、腹にこたえる程俺はまだ成熟していない様に思う。だが、甚だ教訓的なのだろうと思ってみただけで、既にこの身が恐ろしく月並みな嘆きのただ中にいる事を感ずるのに充分だ。

『Xへの手紙』は何を描いたというような文章ではないのだが、ところどころに心に引っ掛かる文章が散りばめられている。これもその一つ。(p58)

Xへの手紙・私小説論 (新潮文庫)

Xへの手紙・私小説論 (新潮文庫)