「有能さ」を問う。

地域通貨研究所(攝津正)です(^^)/

もう何年も前のことになりますが、NAMで知り合った友人から勧められて、ニュースタート事務局の求人に応募したことがありました。しかし、結果は落選。理由は、私が、クリエイティヴでないから、ということのようでした。

確かに、私は、クリエイティヴ、有能ではないかもしれません。しかし、ニートを「支援」するような運動団体において、問われる「有能さ」とは何なのだろうかなあ、と腑に落ちない感じがしたのを覚えています。

その後、やはり別のNAMの友人の紹介で、日本消費者連盟の求人にも応募しましたが、こちらも落選。

合同出版の求人にも応募しましたが、やはり結果は×でした。

オルタナティヴ、オルタナティヴというけれども、オルタナティヴ、例えば運動の専従などには、資本制で働くのと同等かそれ以上の「有能さ」が求められるとしたら、私のような「無能」な人間は働く場を得られないし、生きていけない。ではどうしたらいいのだろうか、とずっと自問しています。

地域通貨というのは、一つの解だと思っています。円で評価されない私のような無能な人間も、地域通貨経済圏では他人の役に立ち評価されることがあるのではないか。逆に、そういった可能性が全くないなら、つまり、円でも地域通貨でも労働を買われないのならば、生存は全く厳しいと思います。

中高年ひきこもり・ニートの野宿者化や餓死が危惧されていますが、最終的には行政の責任だと思いますが、自分らでやれるところまではやりたい、そういう気持ちもあります。親が亡くなる「Xデー」まであとどのくらいあるのか分かりませんが、それまで足掻き続けたい。そう思います。