攝津正瞑想随筆〜死の床のドン・キホーテ、正気に返る。

先月末、激烈な抑鬱希死念慮に襲われ、その後、二日間、昂奮状態が続いた。躁的な昂奮から醒めると、執拗な頭痛と眼球の痛み。インターネットのやり過ぎだ、というのは分かる。だが、どうしようもない。
狂気に襲われた時、懐かしい感じがする。イラク戦争の時など、私は狂気の発作にとり憑かれながら、恐ろしく苦しい思いをしながら、デモや集会に連日参加していたものだ。私は狂気の活動家だったのである。その頃の記憶を思い出した。
Ustreamに、I miss you. 〜想い出は絵のように、という題名を付けたが、実際は絵のように美しいどころか、地獄のような状態が続いていたともいえる。私はうわ言を言い、それを中谷礼仁が「白痴のように美しい」と称賛したりした。私は、自分が不可能なものの巫女だと思った。そして、良い文章を沢山書き、その一部は岡崎乾二郎に認められてRAM DEMO SITEに掲載されたりもした。
だが私の本質は狂犬であった。誰にでも噛み付く。喧嘩屋。私は、次々と喧嘩を繰り返した。
そうしたことも全て、想い出になった。
Ustreamで話したように、想い出は死者と同じく、変わらない。変わるのは死者に対する我々の態度のほうである。つまり、関係性だ。死者は狡猾である、とキェルケゴールは語った。