地域通貨と(地域)共同体を考える。

地域通貨(ここではLETSを考える)の本質は「契約思想」「会員制度」にある。或るLETSを使えるのは、そのLETSの会員に限定されている。その意味で、地域通貨は、「閉じたムラ」ではないとしても、何らかの意味で共同体的である。言い換えれば互酬的である。
国民通貨の本質は、その匿名性と無責任性にある。他方、地域通貨の本質は顔が見える関係にある。そこでは生産者(労働者)と消費者が繋がっている。生産者と消費者は、お互いについて多くの情報を持っているであろう。他方、国民通貨での購買の場合、例えば、私は、マルエツのレジ係の店員について全く何も知らないし、知ろうとも思わないし、それで何の不都合もない。極めてドライで冷淡な関係である。しかし、この「他人」性が、「都市の空気は自由にする」ということでもあるのである。だから、お互いに見知らぬ他人同士ではない地域通貨での取引(交換)は、売り手と買い手の双方に「不自由」を強いるものである。但し、この「不自由さ」は売り手とお互いの相互の了解=契約をもって合意されたものである。言わば自由に選択された一定の不自由さなのである。
地域通貨で売買できる商品がないとか、市場が形成されていないなどの批判がよくあるし、時には私もその種の批判をしてきたが、しかし、上述したような地域通貨の本質である倫理的な(或いは、「自由な」)不自由さを考慮すると、それは必然的であることが分かる。閉鎖系で、契約関係であるLETSは徐々に、漸進的にしか拡大しないし、取引可能なモノ・サービスも段々増えていくが、とにかく時間が掛かるのはやむを得ないのである。LETSにおける市場とは、「しじょう」ではなく「いちば」と読むものだとさしあたり考えておくほうが無難である。