SEXさんとの対話

SEX 2010/12/10 22:57
>正確にいえば異性愛者だと自分自身のことを信じて疑わない主体が抱く他者=同性愛者のイメージというものが、彼自身の影であり、彼自身の見られたくない恥部を他者、外部に投影したものであるからだ。だからそれは汚らわしく忌まわしく恐ろしいものであり、不気味なものなのだ。

こういう認識は異性愛者という意識の人間に対する恫喝にはなりませんか。
お前の無意識には同性愛感情が潜んでいるのだというバイアスのかかったものの見方。セクシャリティの自意識の微分化。そんなものめんどくせぇという人も現実にはいるでしょう。そういう人がいてはいけないのでしょうか。
差別感がなくて、(犯罪を除き)いろいろな性的傾向が並列して存在するということの方が健康的な気がするけど。
クイア問題という大風呂敷包の中に個人的な救済願望が透けて見えるような気もしますが。

こういったクィアへの無理解・誹謗中傷は私が以前批判した誰かさんを思い出させますね(笑)。私をアクセスブロックし続けている人を。まあそれはいいとして。
「恫喝」なんてしてませんよ。それはSEXさんの主観でしょ。「バイアスのかかったものの見方」とするのは勝手ですが、あくまで貴方の、SEXさんの勝手なんであって、私がそれを聞き入れねばならぬ道理は全くありませんよ。
「個人的な救済願望が透けて見えるような気」がするのは、気のせいでしょ(笑)。私は心当たりないです。

SEX 2010/12/10 23:12
何か古臭い心理学という気がするけど。
自分が多形倒錯の一部であるのではないかという疑念を自己強迫することの苦しみというのもあるのでは。自分はレズじゃないかと悩んで泣いていた女の子を知っているが。

古くても真実だったらいいんじゃないの?
レズビアンじゃないかと悩んで泣くのを同性愛嫌悪、正確には同性愛恐怖症というべきなのでは? なんで同性愛者だと思ったら泣かないといけないの? 話はそこからです。