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文学者攝津正
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三流物書き志望者の悲哀(2010/12/10(金))

私は三流物書き志望者である。子供の頃から物書きになりたいと思っていた。特にSF作家になりたかった。物語を紡ぎたかったのである。しかし、思春期に精神的破綻に襲われ、物語を紡ぐ能力を永遠に失ってしまった。以降私は、つまらぬ自分語りの、ボロ切れのような断片を書き付けることしかできなくなった。発狂以前も以後も猛烈に本を読んだが、複雑なアイデンティティの持ち主であるジャック・ケルアックの「自然発生的散文」というアイディアが特に気に入った。私が書くものは以降、自発性と勢いを(それのみを)備えることになった。大学時代、ケルアックに出会ったのは、ドゥルーズ経由だったが、ケルアック、広くいえばビート・ジェネレーションとの出会いは私にとって大きな転機だった。哲学者にも「公的教授」と「私的思想家」の区別があるように、文学者にもそれに相当する区別があるように思われる。詩人のアレン・ギンズバーグは、詩人になろうと志すことは、ブルーカラーの労働者として生きることを選択するのと同じだった、という意味のことを述べている。つまり、偉大なアメリカ文学にも、大学の中でのアカデミックな研究と教授=享受、また、それとは区別される、市井の、草の根の文学活動があるのである。詩人や小説家を「研究」するのではなく、自ら詩人なり小説家などになろうというのは、確かに気違いじみた企てかもしれぬ。というのも、一般の職業と異なり、作家にはどうすればなれるかという案内書きのようなものはないからである。各々が、自らの実践において、作家になる道を見出さねばならぬ。書き続けることが必要だし、書き続けたからといってものになるとは限らぬ。自分が「外れくじ」であるかもしれぬという大いなる疑念と闘いながら、「夜」の密やかな営みを継続せねばならぬのだ。それは、世俗の直接的な快楽を享受することの断念であるかもしれぬ。人生そのものの断念かどうかまでは分からぬが。ともあれ、三流物書き志望者である。私は。決定的な欠陥を抱えていた。それは、登場人物の造形もできなければ、描写も出来ないということであった。私は、ぶつぶつ独り言を呟くことくらいしか出来ぬのである。それなのに作家になろうとは、おこがましいとも思うが、そう思い続けてきたのだから仕方がない。私は、小学生の頃、同性愛と去勢を描いた小説を書いていた。大藪春彦平井和正の影響を濃厚に受けつつ、独自のエロスと暴力に満ちた小説を書いていた。小学生の私は、子供が虫の脚をもいで遊ぶように、登場人物の男らの男根をもいで楽しんでいた。その感覚はちょっと他人には伝え難いように思う。何故私が、去勢に惹かれたのか、今となっては分からぬ面が多い。ともあれ、私は、思春期、第二次性徴と共に、自分が将来、猟奇殺人者になるのではないかと畏怖した。しかし、大人になってみて分かったが、そうはならなかった。私は単に精神病者、或いは神経症患者になったのである。ドゥルーズ=ガタリを専攻したものとしてはおかしいかもしれぬが、パパ=ママ=ボクのオイディプス三角形に取り込まれてしまったのである。その閉域に。それは芸術家、思想家としては致命的な欠陥かもしれなかった。家族主義という誤謬。私はそれに陥ってしまったのだ。かつては、外部、つまりあかねへと逃走の線を引くこともできた。だが、いまや、自宅から半径一キロの範囲を動かぬひきこもりであり、閉塞している。何か売り物になるような知的創造も出来そうにない。そのことを嘆いてばかりいるが、それでは「文学」になどはなるまい。せいぜい愚痴である。例えば神沢敦子さんのように、真の表現者たろうとすれば、狂うしかないのかもしれなかった。だが私は、勇気がなくて、その道を歩めなかった。いわゆる「心系」、欝気分にひきこもってしまった。最近香山リカ五木寛之の対談『欝の力』を読んだが、いわゆるうつ病と欝気分は異なるもので、今社会に蔓延しているのは欝気分ではないかという指摘はその通りかもしれなかった。私は、自己実現イデオロギーを否定しつつそれにひきずられて、欝気分に塞ぎ込んでいる。だが、そんな必要はないのかもしれぬ。ひとかどの人間になろうという望みさえ捨てれば、「埋没系」で生きることができれば、それで苦悩はなくなるのかもしれぬ。だが恐らく、自分にはその道は歩めぬとも自覚しているのである。さて。長くなった。今日はこのくらいにしておこう。