その4

正はフリージャズとか自由即興と称してピアノを弾いていたが、それは完全に「出鱈目」なものだった。出鱈目に聴こえるだろうが、その通り、全く「出鱈目」であった。何の原理も理論も無かった。ただ、弾きたいように奔放に弾いていた。その事に後ろめたさは無かったが、他者の支持も容易には得られないだろうとも予測していた。
正のピアノは、誰をも模倣したものでなく、完全にオリジナルであった。正や老母は、その事を自画自賛した。だが、そのオリジナリティが、商品としての価値には繋がっていかなかった。正は、マイルス・デイヴィスが小馬鹿にした、芸術家気取りの貧しいフリージャズのプレイヤーに似ていた。その事を自覚してもいた。芸術家気取り。スノッブ
だがその俗物根性だけが、正が生存を継続する動機だった。その芸術家気取りが。いつの日か真正な芸術家として社会なり文化人らからなり承認されるのではないか、という淡い期待が正を詰まらぬ苦痛な生存に繋ぎ留めていた。しかし、その見込みが薄い事もよく分かってはいた。
まだUstreamが日本上陸しておらず、今は閉鎖してしまったらじろぐでインターネットラジオをやっていた三、四年前、美術家の岡崎乾二郎が正の放送を聴いてくれる事が何度かあった。正はそれに感激した。岡崎の絵なり評論の真の価値が理解出来る程芸術に詳しくないのを自覚しつつ、岡崎の知性に惚れ込み、彼からの評価を常に気にしていた。だが、岡崎は仕事が多忙になり、正の放送を聴く事はなくなった。そのことを正は寂しく思った。しかし、melonmaedaさん、iwayan77さん、yukie14さん、nakachiyamiさん、huratiさんといった常連さんが視聴してくれる事に、感謝の念を持った。特にmelonmaedaさんは、十年前のNAM時代からの友人であった。NAMが崩壊して、大多数の友人は正のもとを去ったが、melonmaedaさん一人が残ったのである。正はその事に感謝した。インターネットというのは有難いものだと思った。インターネットがあるお蔭で、福岡に住むmelonmaedaさんと千葉に住む正がコミュニケーションできるのだから。