その3

正は「ジャズ・ピアノの神様」と称されたアート・テイタムが好きだった。特に彼が没した1956年に録音された『ジ・アート・テイタム・トリオ』と『アート・テイタムベン・ウェブスター・クァルテット』が好きで、毎日のように繰り返し聴いた。死の年のテイタムの演奏は、華麗であると共に枯れており、独特の味わいがある。正はそれを好んでいた。
東浩紀の『動物化するポストモダン』を読んで、自分も動物化したジャズオタクと言えるのか、考えてみた。だが、分からなかった。
星一平が言うような意味で、正は、自分がアカデミックであるとか孤高であるなどとは思わなかった。自分は、大学を逐われた身であり、膨大に存在する屑のone of themである。といった自己認識は正の心を暗くした。だが、真実を直視するならば、junkとしての自分を認識せねばならぬ。そう正は考えていた。
前も書いた通り、正は自分の知識や教養、技術が中途半端なものだと看做していた。自立した知識人としてやっていける程の深く広い教養はない。せいぜい、市立の図書館通い程度で得られる程度の、薄い知識しか自分は持っていない。正は、その事を自覚していた。
ドゥルージアンとしてすら、正は半端だった。ドゥルーズ研究者だった癖に、ドゥルーズの著作の原書や邦訳を、半分位しか持っていなかった。経済困難で買えなかったのである。大学院在籍時には、大学院の研究室や大学図書館で借りて読み耽っていたが、今は大学にアクセス出来ぬ。全て自前でやっていかねばならぬ。となると、ドゥルーズの著作さえ、読むのはままならなかった。
同年代の人が次々と意欲作を発表して世に出ていくのに、自分は取り残されている、その意識が正を焦燥させた。正は焦っていた。世に出なければ、と前のめりに思いつつ、その不可能を自覚するといった具合である。その繰り返しが、正を疲弊させ、神経症的に追い詰めていった。
正は自分の非才を自覚していた。友人の倉数茂や田口卓臣のようには小説は書けぬ。杉田俊介のようには批評は書けぬ。ジャーナリスティックな文章も書けぬ。正に書けるのはブログの文章、日々更新する日常生活の雑記のみだった。そんなものを誰が好んで読みたがるだろうか? 正はもう、労働すらしていないのである。自宅にひきこもっているから、誰とも出会いもない。何の新たな発見も認識もなく、日々「自己」とのみ向き合っている。そういう時間は自家中毒を引き起こした。
毎日厭かずに鏡を眺めているようなもので、次第に鏡の反映に嫌悪感を抱くようになった。だが鏡を眺める性癖は変えられぬ。そういう訳で正は、自己愛的であると共に自己嫌悪的であった。自分の醜悪さや劣悪を日々自覚するが故にそうであった。