認識枠組み/知覚枠組み

後藤さん(id:eaglegoto)記:

攝津さん、私の説明不足ですが、私が考えているのは音楽社会学的なものではなく、むしろフーコー的問題です。つまり、特定の言説空間が感覚を規定している可能性です。

カント的、というか新カント派的には、歴史的アプリオリとしてある「認識枠組み」があり、人間はそれを通じて認識しているのだということでしょうが、知覚枠組みの歴史性もありそうですよね。それを「特定の言説空間」が枠付けているのかどうかは検討が必要なように思いますが。例えば、半世紀前の聴衆が聴いていたパーカーと、今私がラジカセで再生して聴いているパーカーは、同一なのか?