今考えていること

Twitterで連続的に呟いたが、今考えていることは以下のようである。
ネグリ=ハートやパオロ・ヴィルノらのマルチチュード論、ポストフォーディズムの労働変容論がどこか間違っているのではないか。知識労働、感情(情動)労働、コミュニケーション労働、パフォーマンス労働等が前景化してきてはいない。むしろ膨大な単純労働(機械化、IT化が進んでも揚棄出来ない残余のようなもの)があり、そこでは需要、求人があるが、知識や表現等と関係した仕事は一切ない。
神沢敦子さんが風俗的な仕事の労働条件が近年、酷くなってきているというが、それは表現一般や知識の労働もなくなってきつつあることの指標である。簡単に言えば不況ということなのだが。というか、日本のバブル期が異常だっただけで、その時期になら仕事があり食えていたものも、今の厳しい経済情勢では食っていけなくなってきつつある。
そして食えない、ということが根本的な絶望なり精神障害、狂気、死等と直結する。狂気や死のありようもまた、ポストモダン的に変容しつつあるのだとしても。
話は飛ぶが新興宗教教団でもファシスト団体でも、必要とされるのは金銭か労働力(実働)であろうと思うが、私はそのいずれも持ちあわせぬ。根本的に無用、不要な人間である。屑のような人(ジャンク)である。つっちーさんと論争になった発端も、実務・実働問題からだった。実務者として無能だからといって貶められる謂れはないというのが私の言い分だった。簡単に言えば、無能な者の権利を要求したのである。