労働力商品化・人格の物件化

マルクスは『資本論』で、宇野弘蔵はその全著作において、労働力商品(化)が成立した歴史的由縁を論じているが、それは人格を物件化してはならぬというカント的倫理が根底にあるものでもあろう。資本家的なマイミクシィが経営者の論理を日記等に書いていたが、労働者側からすればその理屈は認められず、ILOが言うように「労働は商品ではない」と主張するのだ。
労働力商品化の無理は資本家的生産様式の限界を告げるものであるが、それは機械的に自動的に生じるものではなく、倫理的な批判として到来するものであろう。例えば労働組合の活動を通じて。
正社員(正規労働者)であれ、派遣等非正規労働者であれ、資本の論理で都合良く使い捨てることは許されないだろう。法律的にも道義的にも許されないだろう。