別の音楽掲示板

闇の音楽相談室という別の音楽掲示板で、普段はジャズやロックのアルバムを聴いたりライブに行ったりしたことを書いている常連さんが、「恥ずかしながら」AKB48をiTuneでダウンロード購入した、という意味のことを書いていて、別の人が「別に恥ずかしがることではないのではないか」と指摘していたが、私もそう思う。

ということで思い出したのだが、山下洋輔が或る日本のグループサウンズ(名前を失念)を好きになったと共演者など周りの人に言ったら、本気で言っているのかとか、頭がおかしくなったのではないかと言われたと書いていたことがあったけれど、ジャズ通としては、これこれの音楽は認められない、など、固定観念があった時代もあったのは確かでしょう。

しかし、サブカルというか、日本的ポストモダニズムの余波で、そのような傾向は一掃されたのではないか、と思います。
私が印象に強く残って記憶しているのが、当時『マス・イメージ論』や『重層的な非決定へ』などを書いていた頃の文芸評論家の吉本隆明が、『窓ぎわのトットちゃん』と『資本論』を、どちらが優れているとか差別せずに同一平面上で読む、などと語っていたことです。

今回の、いーぐる連続講演での講演をされた方の発言をきっかけに出てきた例でいえば、「ベートーヴェン」と「AKB48」ですね。
クラシック耳やジャズ耳を持つ人からすれば、「AKB48? 何それ?」みたいな感じかもしれないけれども、他方、それを良しとする人(J-POP耳?の持ち主?)もおり、そのような人が間違っているなどと先験的に断言する権利など誰にもない。
審美的価値観の多様性と相対主義は、或る意味、ものを考えたり議論する上での「前提」になっている。そう思うのですが、どうでしょうか。