私は三十五歳の大きな子供として…

私は三十五歳の大きな子供として、七十五歳の母親(攝津照子)と手を繋いで二和向台の街を毎日歩く。家事や芸音音楽アカデミーの仕事を手伝うので、母親からは親孝行だと感謝されているが、賃労働から撤退したのだから当然のことをしているだけだと思う。私は、両親を心から愛し、彼らの幸福を願い、そのために尽くしている。高齢である両親の晩年が幸せなものであることを願う。私が生きる動機はそれだ。両親に幸福になってもらいたい。
私が今こうして文章を綴っているのも、両親、特に母親の意向なのである。彼女は、文学、小説に過大な期待、幻想を抱いているのか、或いは子供である私の才能に幻想を抱いているのか、書くことを勧め、それが一番の親孝行だと語る。ちょうどソクラテスが、夢のお告げで文芸をやれと言われ、女神を讃える詩作品を作ったように(『パイドン』参照)、私も文章を綴る。
テーマは、「俺は世界中で一番ママコンと言われる男」という鼻歌(替え歌)であろう。これは母親が考えた。元歌は、「俺は村中で一番モボだと言われた男」である。私は、オイディプス(エディプス)・コンプレックス概念を批判したドゥルーズ=ガタリをかつて大学で研究していたし、今自宅で個人的に研究しているが、しかし、自分自身はオイディプス的なのである。つまり、簡単にいえば、家族主義ということだ。その矛盾、つまり思想と生活の矛盾は感じている。思想ほどに生活はラディカルではないということだ。だが、そのことに一片の疚しさも感じてはいない。私の生活は充実しており、そのことを肯定している。他者や外部との接点はないが、そのことも含めて肯定している。物流倉庫の仕事を辞めた私は、ひきこもりであり、ニートである。回避性人格障害=不安人格障害であり、社会不安障害である。
冒頭に戻れば、私は家事や自営の仕事を一所懸命やっているのである。だがそれは、繰り返しになるが、賃労働を辞めた以上当然のことだと思っている。主夫に限りなく近い超零細自営業者、ということだ。