模倣

デュルケム学派に圧殺されたガブリエル・タルド社会心理学の名著『模倣の法則』の新しい翻訳が出たのだが、そこでは近代日本が模倣の成功例として挙げられている。それを読んで複雑な感慨がある。
近代日本は、西洋を「模倣」するのにそんなに成功したのか。戦前の日本はヨーロッパを、戦後の日本はアメリカを模倣するのにそんなに成功したのか。そもそも模倣はそんなに褒められたことなのか。
私はジャズが好きで、ジャズ・アイデンティティを持っているとすら言いたいが、ジャズはアメリカ生まれの、明瞭に特定の環境で生まれた音楽である。それを九州の片田舎で生まれ、千葉の隅っこで暮らす凡庸な日本人である私が実践できるのか、疑問に思う。
夏目漱石は、英文学に騙されたような気持ちがした、と言ったが、私は、ジャズに欺かれたような心持がする。大金を投じ、借金返済のために肉体労働をし、ジャズに邁進してきたが、自分の根っこはジャズでなく、津軽三味線のようなものにあるようにも思う。
根源的な身体感覚として、「リズム」があるが、私のピアノ演奏で最も責められるのが「リズム感のなさ」である。ジャズのリズムになっていないというのである。これは身体感覚であるから、ジャズを幾ら聴いてもそれだけでは「身につかない」。
話を戻すと、近代日本はそんなに褒められたものか。現代日本はそんなに素晴らしいのか。疑問に思う。
近代日本は、「出遅れた帝国主義国」として、ヨーロッパ列強の後を追い、第二次世界大戦でその国家戦略は破綻した。連合国=既に十分発展していた帝国主義諸国家によって、遅れてきた帝国主義諸国、日独伊という「狂人」は打ち砕かれ制裁された。
戦後日本はアメリカに「占領」され、文化的価値観も輸入された。墨塗り教科書などが一例である。勿論、あの「日本国憲法」も。私は、憲法が「押し付け」だから改正すべきだと考える人間ではないが、日本国憲法制定が、GHQ内部の良心的な人々に主導されたというのは紛れもない事実であると思っている。当時の日本政府が提出した憲法案は一蹴された。
憲法に限らず、政治、経済、文化など多方面でアメリカに占領され、アメリカ的価値観、アメリカ的生活様式を崇拝するよう仕向けられてきた。このように語るからといって、私は、戦後の「復興」を一面的に否定するものではない。しかし、日本復興が、朝鮮戦争特需、ベトナム戦争特需等によって潤ったという側面があるのも事実だと思っている。日本の経済成長は血塗られているのである。この認識を突き詰めると東アジア反日武装戦線の認識と同一になる。
日本の戦後の復興、驚異的な経済成長は奇跡である。しかし、どんな手品にも種があるものだ。戦後日本のバブル崩壊までの発展の種明かしは、「平和憲法」によって軍事的負担を忌避しつつ、「経済」にのみ没頭し、かつて自らが軍事的に支配したアジア諸国を経済的に侵略することで、富を収奪する側に安全に回るということであった。エコノミック・アニマルと揶揄されながらも、そのような「狡い」戦略を採用することで、日本は欧米並みの生活水準を手に入れたのである。対してアジア・アフリカ諸国の多くは、ハリウッド映画で観たアメリカ的生活様式を自ら実現することは永遠にできない。日本と日本以外のアジア・アフリカ諸国の差異は明瞭である。私は、そのことは日本の原罪なのではないかと思うことがある。
そのように考えておりながら、ジャズを盲目的、熱烈に愛好するとは、捩れに捩れている心であろう。自分のジャズ愛と、政治的認識が、うまく調和しない。アメリカについてどう考えていいか分からない。

模倣の法則

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