小林秀雄

私は小林秀雄がどうも好きになれない。最初期、「芥川龍之介の美神と宿命」などを読んだが、だから何ですか?と問い返したい気持ちだ。芥川には知性や逆説はなく、神経しかないというのは、批評家の定番言説になったが、そうなのだろうか。

江藤淳の『小林秀雄』は相当面白いが、それは小林秀雄という作家研究として面白いのであって、書簡の引用などから浮かび上がってくる小林秀雄という人が面白いのである。自殺の理論がどうのとか、その辺りが面白い。

小林秀雄神話を破壊したのは、初期の蓮實重彦だと思うが、そこでは小林言説のロマンティシズムやセンチメンタリズムが批判されていた。「ランボオ」や「モオツァルト」など。それは蓮實重彦の功績だと思うが、しかし、小林秀雄が近代批評の定礎をした人間だという事実は変わらない。

しかし、ロマンティックというなら、小林だけでなく、江藤淳吉本隆明柄谷行人らも十分ロマンティック、言い換えれば「文学」的だと思うのだが。柄谷行人についてそれを指摘したのが『アンチ漱石』の大杉重男だったと思う。

まあ、ともあれ私は文学は知らないから、とにかく勉強を続けなければならないと思った。

吉本隆明全著作集第四巻「文学論」には、いわゆる吉本・花田論争の文章が収められており、すが秀実などが吉本は花田を誤読していると指摘した文章も入っている。私などは花田のほうを十分読んでいないものだから、つい吉本寄りの判断をしがちだが、冷静に吟味したい。花田も読まなければ。

前も書いたかもしれないが、あかねで店員をやっていた頃、究極Q太郎花田清輝の全集を読破した話を披瀝していたことがあって、私がどうやってやったんですかと訊いたら、図書館で借りて電車の中で読んだ、と。私と同じだw 私は、本は読むが、全部図書館で借りるので、金を落とさないので、「消費者」ではない。どんな本も買わない。買いたい本もあるんだけれども、我慢我慢。貧乏人なのだから。

話が飛ぶが、中央大学でカントを専攻した知識人がNAMにいて、彼は、引っ越す時売り払う余裕がなく、夏目漱石全集、小林秀雄全集などをゴミとして捨てたと語っていた。今は元気にサラリーマンとして活躍しているはずである。全集を購入できる経済力、読破できる知性、どれを取っても自分は彼に及ばぬと思う。

彼は、NAMがあった頃、イモケンについて、余りイモケンに入り浸るのは良くない、賃労働ができなくなるから、と語っていたが、そうだったかもしれなかった。

ちなみに彼は、中央大学柄谷行人講演会などをやっていたという。私は早稲田大学柄谷行人講演会などをやっていたのだから、やはり柄谷さんが文芸誌で総括したように、彼の読者が集まったということだな、NAMは(笑)。

ちなみに私は、専攻はドゥルーズだが、十分理解し得ているとは到底言えない。古典から現代に至るまで、フランス哲学を原著で読みたいというのが私の夢であるが、叶いそうにはない。フランスの唯物論はあまり邦訳されていないし、弁証法的ではない、機械論的な唯物論として否定されることが多いように思うが、機械論的な唯物論以外に唯物論はないんじゃないかな、と思ったり。

いろいろ話が飛んでとっ散らかったが、一旦送る。

アンチ漱石―固有名批判

アンチ漱石―固有名批判