デヴィッド・グレーバー
デヴィッド・グレーバーによれば、コミュニズムは日常生活のあちらこちらに既にあるという。例えばどこかの企業か工場に勤務している労働者が、同僚に「そこのスパナを取ってくれ」と依頼し、同僚がスパナを労働者に渡す。そのことで、労働者が同僚に報酬を支払うわけではない。そのような関係性はコミュニズム的なもので、そのような関係性がなければ、企業活動も家庭生活も成り立たないのだという。
私が彼の意見に疑問なのは、そうは言っても、その例え話に出てくる労働者と同僚は、その企業なり工場に勤務しているという賃労働関係、資本主義的関係にあり、それが支配的だという事実を無視しているようにみえることである。
「スパナ取って」「はいよ」というような関係が無償のものだとしても、それが社会を構成する原理にまで高められていなければ、コミュニズムとはいえないと思う。
他方、地域通貨、LETSの実践を反省すると、グレーバーが語るような無償贈与の領域に貨幣対価を考えてしまい、折角のコミュニズム的契機をかえって消してしまったようにも思う。地域通貨レインボーリングに入った時、Chance! の小林一朗も入っていて、彼は自分が「提供できるもの」の欄に「愛」と書き、値段を「0r」としていて、私はこいつ馬鹿かと思ったものだが、今考えてみたら、小林一朗が正しかったのかもしれない。私どものような、地域通貨を実践しようとしていた者らは、愛=0円(無償)であるべき領域に、貨幣(地域貨幣)を持ち込もうとしたのかもしれなかった。そして、それは、もしかしたら反動的なことだったのかもしれない。
地域通貨でよく語られたのが、影の労働(シャドウ・ワーク)の可視化、再生産労働、主婦の家事労働等の可視化だったが、それを本気でやるならば、地域貨幣を発行しても駄目だと思った。社会制度上、非-賃労働に従事する労働者(再生産労働者、主婦や「家事手伝い」など)が喰えるようにしていかなければならないと思う。
まだ論じたい、書きたいことがあるが、長くなったので一旦ここで送る。
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