労働/生産

確かHOWSの定期刊行物に、究極Q太郎(詩人)が松本圭二アストロノート』の書評を書いていて、それで触れられていたが、何故松本は、図書館労働(賃労働)を労働なり生産とカウントするのに、古今東西の膨大な詩テキストを読み込む作業を労働なり生産とカウントしないのか、という意味のことを書いていた。地域通貨ベーシック・インカムはまさにそのことを問うているのだが、一体、何がどこまで労働/生産なのかという問題である。
資本主義的にいえば、答えは決まっている。もし売れたならばその労苦は「労働」であり社会的に有用なる「生産」である、ということである。しかし、労働/生産の非資本主義的にして非社会的なパラダイムもあり得る、と私は思う。つまりもっと包括的に、ありとあらゆる人間の営みを労働/生産として、つまり生そのものとして捉え価値づけようというものだ。
世界市場が要求する単一の価値基準に従属せず、多数多様な諸価値のありようを求めていく、ということである。凡庸な結論だが、私の考えでいけばそうなる。問題は、端的に喰えないこと、生きていけないことである! それは大問題だ。

アストロノート (叢書重力)

アストロノート (叢書重力)