消費社会

以前、ミシェル・フーコーが自分の著作(専門家向けと想定されていた)の一般大衆への爆発的なセールスに驚き、以後著述スタイルを変えたという意味のことを書いた。
先程、ジャズの変容について、「それは今に始まった話ではなく、少なくともビートルズ、いや、エルヴィス・プレスリーにまで遡らねばならぬ。つまり、ロックという大衆に滅茶苦茶「売れる」音楽の誕生、それとの関係で自らを考えねばならぬということで、それを一番徹底したのが、かのマイルス・デイヴィスであった。」と書いたのも似たような意味である。
思い出したのでメモ的に書いておこうと思うが、逸話が2つある。キェルケゴールは父親の遺産で喰っていたが、晩年、自分の本が売れ、金銭収入を得て、そのことに驚いたという話。
また、雑誌『重力02』において、すが秀実地域通貨ではラーメンが喰えないといった趣旨の批判をしていたのに対し、地域通貨の理論家である西部忠が君らは文芸批評文がカネ(国民通貨)になりそれでラーメンが喰えるという幻想的、観念的な過程にもっと驚くべきだという趣旨の反駁をしていた。
以上書いてきた全てのことは、「資本主義という謎」に行き着く。

重力〈02〉

重力〈02〉