呟き

Q-NAM(L)を再考するたびに、どす黒い情念に襲われる。十年経っても、私はあの泥沼から自由ではない。憎悪や怨恨に満ち溢れている。私はほとんど、柄谷行人らを赦すことができない。この憎しみは常軌を逸していると思うが、自分ではもう、如何ともし難いというのが事実である。
それにしても悲しいのは、NAMといってももはや誰も知らないし覚えてもいないことである。関係者すら、もうどこにもいない。私が一人で吼えているだけで、誰にも批判は届かず、実りある対話も生まれない。怒りや憎しみをぶつける相手もいない。柄谷行人は運動から撤退した。信者達もまた。
もう10時じゃん。今日もインターネットラジオ放送はできないなあ。薬飲んで少し早く休むか。神経が昂奮していて、非常に苦しい。理由は勿論、NAM。何故十年も前のことでこれだけ苦しむのか。理解に苦しむが、事実そうなのだから、しょうがない。
柄谷さんは↓のような誇大妄想的な表題(笑)の本を出してるし老いてなお盛んなのに、私は単にブルー。駄目駄目ですなあ。

世界史の構造 (岩波現代文庫 文芸 323)

世界史の構造 (岩波現代文庫 文芸 323)